2025.08.30
🟦不分明な知能‼️
工夫の欠片も生まれない、ただ風景を眺めるように問題を見ている、顔に表情がない、そういう子をよく経験してきた。仕方ない。IQの問題だからだ。無反応の子は、頭の中は、おそらく真っ白、思考という言語そのものが「ない」のであろう。だから「なるほど」という反応もあるわけがない。わたしは、こういう脳の状態を「不分明な知能」と呼ぶことにした。こういう子の頭の中には、言語がない。思考言語がない。だから問題を読んでも、意味がわからない。だから図がかけない。意味言語で関係(繋がり)を読み取ることができない。とにかく言葉を持たないから工夫ということもないし、新たな発想もない。
思考がないというのは、頭の中に言語がない、言葉の断片が乱雑に散らかり、その断片も低次元の言語の破片であり、関係という次元がないのだ。言語が使いこなせてない。言語が脳の一部になっていない。
これがIQというもののリアルである。こういう子をどう導いていくか、これは私が竹の会を始めたときから直面した、解決し難い、永遠の課題であった。わたしの対応は、かつては入会そのものを断った。その後とにかくどこまでやれるか、やるだけやってみようという時期もあった。IQも段階があり、一様ではない。かすかな理解の灯火を見つけ、辛うじてできることから少しずつ、硬い岩盤を掘削するように、わずかに進める。1ミリ365日で365ミリ進む。「普通」にすることさえ困難に思える。だからそもそも受験などあり得ないのだ。ところが、親は偏差値の高い学校を相談してくる。あり得ないのに。東京は、オール1でも入れてくれる私立はあるのだ。少子化により定員が集まらない学校が増えたが、その前からIQの低い子たちを受け入れる学校はそれなりにあったのだ。正直、こういう子が塾に来ても実りのない結果しかないのだが、親も必死だ。
竹の会では、入会試験で篩にかけるようになった。しかし、入会試験をクリアしても、指導困難児が紛れ込むことを回避できなかった。近年は、内申の「よくできる」が5割前後の子ばかり。入会試験が機能していない。それだけ公立小にまともな子がいない、ということなのだろう。少子化で相対的に減るのはわかる。1割いればいいのか。