2025.06.03
🟦国語の勉強
言語論的転回という哲学のある段階を軸に現代文を考えることを至高とする。
かつて代ゼミの現代文講師有坂誠人が書いた「例の方法」という参考書がある。選択肢だけを見て、出題者心理に立って解くという方法を提唱した。当時の選択肢問題には、有坂の方法で解けそうな問題もあった。しかし、現在は、有坂の視点で作られる問題はあまりない。とうの昔に絶版となった。すなわち版を重ねることはなかった。
かつてわたしも有坂の書いた参考書はすべて読んだ。その本が今は高値で売られている。実は、最近、言語論的転回に関する勉強をさせてもらっていることから、違った視点で有坂の本に関心を持つようになった。言語論的転回を前提にすれば、いやいや有坂の方法も批判されることもないのではないか、と思うようになったのである。いやむしろ言語が主役なら有坂の方法も言語の在り方としてありうる。なら、そこに言語の法則性もあって然るべきかもと思うようになった。なんか研究してみたくなったわけである。そこで昔とっくに処分してしまった有坂の最初の本を手に入れることにした。有坂は、初本の後、調子に乗ったか、パート2、英語版、古典版と出しまくっている。初本が一番優れていて、他はどうでもいいのばかり。
それよりも今は、言語論的転回の哲学書を読む日々であり、これは時間がかかる。これまで哲学の本などじっくり読んだことがない。なにしろ読んでいるうちになにを言っているのかわからなくなり、放り出す。しかし、今度は、1ページ読んでは、本を閉じて、考える、反芻する、そういうことをやっている。哲学の本を読むとはそういうことだったのだ。せっかち、気短、いや忙し過ぎる私には哲学書は剣呑だ。しかし、国語読解論を研究するうちに、行き着いたのが、言語論的転回、つまりは哲学であり、書架を探して数冊の本を見つけたが、どれも難解で、万事窮す❗️ 何か易しく書かれたものはないかと探すこと頻り。見つけました。早速取り寄せて、読み始めたのが、今、現在解読中の本というわけです。京都大学名誉教授冨田恭彦先生の本です。これは気に入りまして、読めています。普通と思っていたのが普通じゃないという視点で、哲学者鷲田清一の本を読むのも日課です。すべては現代文読解の方法論を私なりに極めたいためです。