2025.09.25
🟦国語逆算読解法
問題集をただ解いて、答え合わせをするだけでは、国語の力は付かない。
問題演習をするには、その前提として、ある程度の語彙量を要することは当然として、読解について、「読む」ための教養を要することも当然である。基本的な文法の知識が、文と文の関係を正確に読み取ることを可能にする。
「読む」ときは、頭の中を真っ白にして、つまり、先入観のない、虚心坦懐の境地で、素直に読み進めることが大切である。接続詞と指示語に注意を払いながら、関係を読み取る。筆者の「言いたいこと」が、文の流れから読み取れるはずである。文脈を追う❗️ これが読解の極意である。
本文部分の読み方は、特に、ない。問題部分は、出題者が、本文を前提に、創作したものであるから、筆者の真意を問うものではない。出題者は、本文の言語だけから論理的に推論できることだけを問題にできるという制約がある。出題者の自由な解釈が許されているわけではない。出題者は、筆者の言語的な制約から自由であるわけではない。
言語の論理的関係のみが、客観的な正解を可能にする。だから「問いに答える」というのは、徹頭徹尾本文の言語のみから答えを推理することである。
そうなると、国語演習で何を演習するか、と言えば、言語論から導き出される答えの必然性を学ぶことに尽きる。解答を見て「これが正解か」と読み流す、そんなやり方やってるなら、最初からやらない方がいい。だいたい大手塾も教材は問題集と決まっており、くだらん説明ばかりして、「合ってた、間違ってた」とルーティンのように終わる、そもそもの問題集の使い方を「知らない」から、生徒もただやるだけでしょ。言語論の視点が教える側にないから仕方ない。言語論的転回を踏まえた国語指導ができる塾など皆無なのかしら。駿台予備校の国語科は、東大哲学科出身の人が講師となるから、ここは別だと信じたい。
さて、こうして、国語の問題集を、使って演習するというのは、他ならない言語論から必然的にこれしか答えになりようがないということを学ぶところにある。多くの生徒が、何も考えないで、問題を解いて答えが合ってた、間違ってた、とやって国語の勉強を誤解しているのはそれが全くと言って力をつけることにならない、ということを指摘しておきたい。