2025.06.24
🟦桜修館合格のために‼️
脳に負荷をかけない勉強は無意味❗️
子どもの脳を深化させる指導とは❗️
人は見えない世界を見る方法を知らない。思考とは、見えない世界を見る方法のことだ。
言語論的転回からの考察❗️
「言葉は嘘をつくためにある」
私たちは、嘘に感動し、嘘に納得し、嘘に涙を流し、まさに嘘だからと怒る。訴訟は嘘に始まり嘘に終わる。つまり、言葉は嘘をつく。政治は、嘘をついて、一部の利権(多くは自分を含む集団の利権)を実現する活動である。
見えない世界が、見えないのは、なぜだろうか。
私たちは、具体的な事実を見る。その場合、直接自分の目で見たか、伝聞か、のどちらかである。伝聞は、他人の目を通して、新聞を通して、テレビの編集した事実を見て、などである。編集とは、嘘をつくことである。事実に言葉が介入すると、必ず嘘が混入する。また私たちは必ずしも事実に正鵠を射る言葉を当てはめていない。つまり、言葉で表した途端に、嘘が混入する。言葉というのは、それほど危険性を孕んだシンボルと、いえる。
私たちは、具体的事実を言葉で表し、それで「見た」気になっている。しかし、言葉に置き換えた途端に嘘が混入するのが、言葉である。
さらに一応言葉で言い表したとしても、具体的な言葉の群像では、実は、何も見えない。
つまり、具体的な言葉は、何も私たちに本質を、知らせない。
これは、言語の問題である。
私たちは、言語を使ってそこに抽象化という言語世界を構築する。脳は言語の本質である「嘘をつく」を駆使して、具体的世界を抽象的世界に曖昧化する。
近年の、わたしは、したがって竹の会は、「嘘をつく」という言語の正体を念頭に、竹の会の指導について、再考することが多い。言語論的転回をパラダイムとして、竹の会の指導コンセプトを再構成している。子どもたちに抽象世界を理解させることは、竹の会の指導の、一つのリアルであるとしも、言語の世界というものを、いや言語という、なんとも扱いにくい、代物をどう学ばせるか、このところ悩むこと頻りである。言語は、なにしろ使う主体をも、騙すのであるから、これは迂闊には、軽々と使うこともできないではないか。言葉の性質をよく知った上でわたしは脳に負荷をかけること、それが思考というものを生み出すこと、そして訓練することが小学生にはもっとも効果のある指導の形態だと考えている。子どもたちの脳に思考の片鱗を見ること、これこそが桜修館への間違いない道なのだと信じている。