2025.09.13
🟦知識を覚えるのではない、知識から知恵を学ぶのだ‼️
勉強を勘違いしてはならない。知識を覚えるのではない。もし知識の羅列と感じたなら、あなたたちは、知恵を働かせていない。知識の背後に隠された、はっきりそれとは語られない知恵を見つけ出すのだ。単純に「覚えなければならない」知識は意外と少ないものだ。勉強のできる者とできない者の差は、そこにある。知識を知識として頭に入れようとするのは愚者の勉強である。賢者は知識を知恵に置き換える。するとたちまち知識は頭の中に吸い込まれるように消える。それが知恵の力だ。どうしても知恵を働かせられない単純暗記事項は、最終的には、語呂合わせで覚える。それも知恵である。しかし、よくよく知識の分類を怠らないことである。知恵とは、他ならない分類のことだからである。その知識が、原則の範疇に属するなら、覚える必要はない。例外なのか、特別なのか、例外の例外、つまり原則なのか、そういう分類を試みることで、知識は整理される。知識が両立しない関係にあるときは、その一方だけ覚えればいい。知識には共通項があるものだ。そういうときは、共通を除いた、特別の部分を覚えればいい。
分類とは、抽象化することによって一つにまとめることである。抽象化は広げるイメージであり、ベン図のような楕円と楕円の包摂関係で表される。これは、数学の論証において、必要条件、十分条件の理解に用いられる、便利な図である。論証においては包摂関係は、前提が、十分条件(小楕円)、それを囲む大楕円が、導かれる必要条件となる。
あるいは、抽象化とは、共通項を分類概念として、ラベリング(名前を付ける)することと言える。これも重要な知恵の一つである。
勉強、いや学問とは、知識をテコに、知識群から知恵を学ぶものである。さぁ、この知識、知識群から如何なる知恵を学べるのか、そう、勉強とは、知恵探しの学問なんだ。いい知恵が見つかるとこれほど嬉しいことはない。
知恵というのは、先人から教わることも多い。しかし、毎日毎日勉強を継続することが、知恵が生まれる、見つかる最良の方法だ。だから勉強は継続が大事というのだ。散発的な、気まぐれな勉強は、何も生まない。何でも続けること、毎日続けることが、一日一日何かの気づきを与えてくれる。昨日より今日の進歩が感じられるのは、毎日の継続のおかげだ。昨日の反省が今日に生かされる。知恵というのは、そういう環境から生まれる。何もしない者、一日を無為に過ごす者には、将来に何も生まない。そういう生き方こそ知恵のない生き方だろう。知恵のない者の人生が、どんなものか、想像がつこうというものだ。