2025.05.30
🟦駿台模試全国1位も、開成合格も、筑駒合格も、本当に普通の結果だった‼️
子どもに強い意思がある限り、すべてが普通のことであった。
普通でないから落ちるのだ‼️
指導時間中に、ふざけあう、騒ぐ、そういう子は、決して受かることはないのだ。これも長年の経験が教えてくれる。そこには、真摯な、強い意思が、欠落しているからだ。だから受験には「普通ではない」のだ。
幼い子、まだあやしてもらわなければすぐに機嫌が悪くなる、そういう子にも、意思はない。意思とは、大人でなければ持ち得ないからだ。だから「普通ではない」のだ。意思のある子は、すでに大人なのだ。それが普通だからだ。強い意思が、その子の心を態度を行為を規定する。
合格するときは、わたしに、普通の指導ができたときだ。騒ぐ、ふざける、集中しない、周りを巻き込んでもなんとも思わない、家庭で勉強しない(塾に来たとき、前回の続きをやっている)、家族旅行で何日も休む、部活で勉強どころではない、親がクレームばかり言ってくる、みんな普通じゃないんだ。普通じゃないから受かるわけがないのだ。
普通の子が受かる。ただそれだけだ。わたしに普通に指導させてもらえればそれでいい。季節講習を、休む。それは普通じゃない。だから落ちる。竹の会のような普段のコース時間が少ない塾では、季節講習のときに、時間を取らなければ、受かるわけがないのだ。普通とは、そういうことだ。受かるために普通とは何かということだ。
勉強姿勢、態度が、普通でなければ受かるわけがないのだ。真摯に、勉強だけに心を配り、勉強だけを見つめて、勉強のことだけを考える、そういう姿勢が、普通なのだ。繰り返す。落ちるのは、普通じゃないからだ。あなたたちの普通じゃない姿勢は、至るところに垣間見える。その度にわたしが、失望することをあなたたちはわかっていない。わたしを失望させた回数が、多いのは、もう普通じゃないのだ。
筑駒合格、開成合格、おまけに受けた渋幕は、特別特待生合格、みんな普通のことでした。普通にわたしの指導に従ったから合格した。ただそれだけのことです。あなたたちは、いつも普通ではいられない。すべての日常が普通じゃない。普通でいられなければ決して受かることはない。