2025.06.19
🟧桜修館に合格するには‼️
この子は落ちる❗️ そういうことはわかります。勉強の姿勢、態度、真摯な生活姿勢、レジュメを大切にする姿勢、几帳面なノート、そこから伝わる責任感ある姿勢、割合の理解の確実さ、算数に見せる能力の片鱗、解き直しにかける執念、取り組む姿勢、集中力、そしてなによりも正解率の高さ、そういうものの蓄積が、わたしに「受かる」という確信をもたらすのです。「この子は落ちる」と直感するのは、そういうものの裏付けがないからです。いつも「わからない」、それで説明をうける、解説を読む、そういう積み重ねは、「落ちる」という不安しかありません。
都立を舐めて欲しくない。合格するには、何かの次いでにやって受かるとか、私立を第一志望にして都立みやるとか、そういうことはありません。習い事、稽古事、スポーツをやりながら「受かる」、そういうことはもちろんありません。過去に、そういう子は、ほとんどの子がというくらいいました。親もそれで受かると思っている。公立小というのはそういう子ばかりだったと記憶しておりますが、受かった試しがありません。低学年からバトンをやっているとか、ピアノだけは続けるとか、野球、バスケ、サッカーをギリギリまでやるとか、そういう子たちが受かったことはありません。そういう子たちの特徴(共通点)は、直前に大量の先送りしたやり残し(積み残し)レジュメが蓄積し、為す術もない、受かる気がしない、不合格確定でした。竹の会には、これだけはやらなければならない、という必須ノルマというものがあります。そういうものを先送りして習い事とかに時間を費やす、私立第1志望ということでやれない、その結果、直前の失速は目を覆うものがありました。
この子は受かる❗️ この子は落ちる❗️ そこまではわかるのです。しかし、そのどちらとも判断できないことがありました。わからないのです。受かる可能性は否定できない。しかし、落ちた、としてもありうる。合格の確実性はないのです。しかし、ダメとも言い切れない。そういう子が受かってきたのが竹の会の強さかもしれません。合格したい、という一途さ、そのために努力を惜しまない、もちろん勉強にすべての生活をかけてきた。そういう子に神は微笑むようです。