2025.08.20
🟩要点をピックアップした参考書より、平板な教科書がいいのはなぜか❗️
2-8理論なら前者
知識だけなら前者
しかし、平板な、それとない、ある意味当たり前の記述が決定的な解決に繋がったことのほうが多い。参考書の重要点というのは、知識前提の話しであり、システム的な、知識の有機的な連動(繋がり)に関する問題には役に立たない。
そうなのである。勉強というのは、羅列された知識の集合ではない、知識は何かのシステムを示す断片であり、知識の有機的な結合によって、背後に存在する、必然抽象的な、まるでカラクリ人形のような、仕組みが見えてくる。知識は目に見える断片だが、そこから背後に隠れた、カラクリ、つまり動き方を想像(仮定)するのが、真の意味の存在価値である。
大学受験でも、資格試験でも、予備校のテキストは、要点整理である。ある意味乱雑な、雑多な知識、理論を整理して、簡潔に提供するのは、確かに、大変な作業であり、予備校がまだ牧歌的な時代には、多くの受験生がその作業に時間を取られてきた。やがて予備校は、個人の力ではとてもできない整理を完璧なまでに仕上げて、それを付加価値として学生に売る商売を確立させた。そのテキストを手に入れるために高額な講座料を払って学生たちが手に入れようとした。ここにすでにカネのある者が合格するという事実が示されていた。
もし知識がそれほど重要なら予備校の一人勝ちであったかもしれない。しかし、知識を追えばそれは膨大な量に相剰的に増えていくであろう。事実予備校のテキストは次第に厚くなり、かつての電話帳のようなものが、何冊にも及ぶこととなり、簡潔に整理したものを提供するという初心は忘れ去られ、完全・完璧主義に収斂していき、何冊にも及ぶ、大部のテキストに化けていった。
ここで、昭和20年前後、民法学の大家我妻榮の時代の勉強法を見てみよう。先生の勉強法は、先生の名著「民法案内」の第一巻の巻末付録に詳細な記録がある。当時は使う教材と言えば、大学の教科書だけ。先生はその本の空白部分に書き込みをして、覚えたり、ノートにまとめたり、されたと書いている。ちなみに、先生は、第一高等学校を首席で卒業し、東京帝国大学を岸信介とともに首席として卒業された。
注 当時の教科書は簡潔でほんとうにシンプルだった。薄くて難しい。また当時教科書以外に売っている参考書などなかったのだ。
先生の空欄メモは、そのページの要点を「分類し」とある。この分類というのがなかなか奥深い。分類とは、抽象化することであり、共通項でくくることである。共通項には、分類名がつけられるに違いない。
当時は、例えば、司法科試験を受けるとしても、使える教材は、教授の書いた体系書、しかも薄いものであったに違いない。当然思考の差が大きく影響したに違いない。
そういう時代と、すべてが予備校の完全に整理した教材を使うのとどちらが楽なのであろうか。予備校の教材は、どう考えるかまでも全て整理されて、本人が何か考えるという隙間はない。それはそれで知識は膨大化し、多くの受験生が押し潰されることになる。そういう中に一本筋を通した勉強をした者が受かるのであろう。
わたしは、概説書を読む、それも定評のある学者の著書を読むのが一番楽しかった。学者の膨大な厚さ、800ページはあろうか、そういう体系書を読むのはとても苦手だった。そういう本を読んでマスターしたなどという人がわたしには理解できない人たちであった。
概説書なら、例えば、鈴木竹雄の「会社法」は300ページほどに膨大な会社法を見事に名文で概観して見せた名著であった。我妻榮の「ダットサン民法」はもはや二度と会うことのない名著である。立教大の田宮教授の「刑事訴訟法講義案」はわたしの好きな概説書である。田宮教授は東大の松尾浩也教授とは、共に平野龍一の弟子である。弘文堂法律学講座叢書兼子一著「民事訴訟法」も概説の名著である。刑法の概説書となるとなかなかない。体系書なら東大名誉教授、元最高裁判事、故団藤重光の「刑法綱要」があまりにも有名であるが、団藤先生は、28歳のとき、既に東大教授となった天才であり、そのときに「刑事訴訟法綱要」を著している。その弟子には、一橋大学教授であった福田平と名古屋大学教授であった大塚仁がいた。大塚の書いた「刑法概説」は概説とは言えない大著であったが、その読みやすさから永く司法試験の基本書として多くの受験生に使われてきた。本が売れたのは大塚が司法試験委員となったことも大きい。わたしは福田平の「刑法各論」が好きだった。コンパクトな名著であった。憲法は、かつては人権は法律学全集の宮澤俊義、統治は同じく法律学全集の清宮四郎が定番だった。やがて東大の芦部、京大の佐藤幸治の時代に入る。概観ものとしては、東北大教授の小嶋和司「憲法概観」が人気があった。平易に書かれた東大教養学部教授の小林直樹「憲法上・下」も人気があったが、これは厚くて二巻に渡った。
概説書を読んだら、後はひたすら過去問をやることである。国家試験は、過去問の焼き直しが7割だからである。
問題集はやるとして、どれくらいやればいいのか。これもやり出せばキリがない。わたしは、大学受験のときは、問題集はやらなかった。理由は、時間がなかったこと。しかし、何か煩わしいという嫌悪感があったかもしれない。問題集は、例えば、論文試験なら、何題かやって「型」を掴めばもうやる必要はない。ただ解くのではなくて、型、フォームを掴むことが大切である。いわゆる抽象化の技術を使うことである。問題集はやらなくても基本書で抽象化が終わっていれば問題はない。
繰り返す。知識は、型を抽出し、その型を覚えるのである。知識そのものを雑多に無秩序に覚えようとすれば脳が荒れる。脳は抽象化された型のみを格納するところである。くれぐれも生の、バラバラな知識を法則の篩にかけないで、そのまま覚えようとしないでほしい。脳の性質、器の形を理解してほしい。そう、脳には、形がある。ある形でしか脳は受け付けないのだ。具体的なものは、結局忘却装置に捨てられる。脳は、種々雑多が嫌いなのだ。歳を取ると固有名詞をよく忘れるのは、元々脳に受け皿がないということもあるが、脳の性質、機能から来るところがある。脳には、忘却機能が備わっている。忘れることは、つまり、削除することは、脳の整理として必要なのである。そのとき、重要でないものは、優先して削除される。ここから、整理とは、削除することである、とわかる。私たちが、テキストを整理するとき、つまり重要点をまとめるとき、それは、すなわち優先度の低い知識から削除している、のだ。これは、本文の要約というときも同じである。どうでもいい知識から削っていくのだ。要約とは、重要な知識を拾い上げるのではない。知識を捨てる、これが要約である。概説書など、見事な要約としか言いようがない。そうなのだ。前提として膨大な知識体系がある。そこから削除していくのだ。だから深みのない概説書には、その前提がない。重要なものを拾い上げたものはダメなのだ。