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現代受験論🟪偶然と付き合うコツ‼️

2025.07.15

🟪偶然と付き合うコツ‼️

 偶然が幸運となるのは、すっかり忘れたときではないか。災害は忘れた頃にやって来る❗️ これは悪い例だ。嫌なことは忘れたい。だからこの格言は当たり前のことを言っただけ。人間は嫌なこと、都合の悪いことは、忘れるように、遺伝子調整されている。
 しかし、偶然は、やはり、すっかり記憶から抜けたときに、やってきた。奇跡の合格‼️ 合格の報はわたしが合格発表の日をすっかり忘れていたときに、突然やってきた。「そうか、今日は発表の日だったのだ」。そんなことがよくあった。しかし、最近は、「待つ」のではなくて、予め受検番号を報告してもらっておいて、発表の日に、インターネットで調べる、ことが普通になって、偶然の電撃的喜びはなくなった。
 私たちが、「偶然」の存在を知るのは、わたしたちの意識、記憶からすっかり消えたときである。偶然を期待しても、偶然は起こらない。
 7月5日に、大地震を予測したと、SNSで大騒ぎになったのは、ついこの前のこと。何事もなく終わると、あれだけ騒いだ人たちはすっかりおとなしくなった。3.11の大地震を「当てた」人の予言と、まるで確かなエビデンスがあるかのように、確信して騒ぐ。しかし、その「当てた」というのは、まさに偶然という言葉が当てはまるのではなかったか。なぜその一回の的中が、次の予言も的中するというエビデンスになるのか。要するに、世の中の人間は、バカなのである。このように、言葉というのは、一回の的中という事実を偶然としないで、次も必然的に的中というように、どうとでもなるのだ。これが、現代哲学の、言語論的転回ということである。
 どう見ても「偶然」だろ‼️
 私たちは、偶然を必然、法則で置き換えるのが好きだ。偶然という、不安定要素が、嫌なのだ。だから何かと偶然を排除する論理、素朴科学を持ち出す。占い、偽データ、偏見、陰謀、似非科学、いや明らかに嘘なのに、これは必然と言い出す。
 若者や主婦が、新興宗教に飛びつき洗脳されるのも、世の中の不安定、不確実、つまり偶然に支配された社会から逃避するためだ。
 世の中は、偶然でできているのに、それを認めたくなくて、断定する人、単純に分断する人、必然の法則を説く人に、惹かれる。
 世界が偶然でできていることは、明らかなことで、これを、否定する主張はすべてインチキである。絶対儲かるという投資話しは、偶然を否定するもので、インチキである。私たちは、世の中の詐欺師をだから見抜くことはできるのである。詐欺師の騙しは、偶然を装って、結局偶然ではない話しなのである。私たちは、偶然という言語に助けられる。偶然は味方である。
 偶然の一致、偶然の出会い、偶然の事故、偶然の雨、私たちは偶然の世界で生きている。
 さて、幸運に偶然遭遇するには、どうしたらいいのか。
 よく「竹の会に出会ったことは幸運でした」と言われてきた。この偶然は、竹の会を信じた人に特有のことであった。ハナから大手に行く人、竹の会にニアミスしても、全く気持ちのない人、竹の会にいるのに竹の会を信用することができなかった人たちには、決して訪れることのない幸運であった。つまり、偶然は「その気」がなければそもそも起きない。
 偶然は少なくとも「その気」のあるところに引き寄せられる。
 さて、偶然とは、不思議な言語である。「その気」が強すぎて、思い続けると、逃げていくのである。
 わたしの経験は、二つのことを教えてくれる。「忘れる」ことが、偶然と付き合うには、ちょうどいいこと。そして、忘れても、思い出したら、それは思い焦がれるほどの「気」がそうさせたのだということ。
 いやいや、ちょっと待てよ。私たちは、理科で、磁力について学んだ。SとS、NとNは、反発し合い、SとNは引き合う、という性質を学びました。もし偶然がSで、私の気がSのことを忘れる、つまりNなら、Sは引き寄せられる。もし私の気がSのことばかりを思っていたら、つまりSなら、偶然は逃げてゆく。
 偶然を引き寄せるには、偶然を忘れる、しかないのだ。しかし、それは、本当に難しい。偶々忘れていた、忙しくて、他の頭を悩ませることがあったために、あるいは、それほど偶然に関心がなかったために、そういう場合しかないじゃないか。
 偶然に出会うには、うまく忘れることなんだ。だから何か夢中になることがあって、その何かに夢中になることかな。積極的に「忘れる」には、これかな。消極的に「わすれる」のは、中々難しいのである。
 偶然さん(幸運さん)、いつか必ずお会いしましょう。

 🔶心が折れそうになる❗️
  朝まだ暗い時間に起きます。このまま寝ていればとふと頭に過ります。でも体はサッと起き上がる。iPhoneのアラームが怖い。人は、暗いところでは弱気になるのかな、塞ぎ込む。悪い方に考える。本当に心が折れそうになる。
 朝日が差し込むと、なぜか元気が湧いて来る。不思議ですね。体を動かしていると、汗が流れて、早く起きてよかった、と思います。
 いい偶然に出会うのは、「気」が爽快なときかなと思います。気鬱はいい偶然を追い払うような気がします。
 それからわかったのですが、一日も欠かさず続けることは、やったことのない者には決してわからない。それこそミリ単位の、微妙な進歩としか言えない発見に出会うことです。わたしは毎日続けたのは、大学入試のときの受験勉強でしたが、今思えばそれは毎日が小さな、そしてわたしには驚異の発見でした。
 昨日できなかったことが、今日はできる、そういう喜びがあります。毎日続けることによって、最初は
非効率で不合理だった行動の数々、いつしか、一つ一つの行動の深い意味を悟り、日々反省と新たな挑戦、なぜできないと悩み、格闘し、先人に教わり、気がつけば規則的で効率的にこなしていることに驚きます。

 毎日欠かさず勉強しない者には、決してわからない、新鮮な喜び、ささやかな発見、ミリ単位の進歩。あなたたちは、そんな貴重な、機会を顧みることもないでしょう。
 きちんと勉強を継続しない人間には、決して得られない、勉強の真理。自宅学習をしない、心が折れそうな継続という行動の困難、そんなことの克服が、何も得られない。決して人生の宝物を手にする人にはなり得ないのです‼️
 継続したものにしかわからない❗️日々ミリ単位の進歩、それが実感できる喜び、微かな自信。継続した者にしかわからない。ほんのささやかな、新しい発見、変化。そこに「やってよかった」という安堵と充足が生まれる。継続した者にしかわからない。
継続とは、1ミリ365日で36.5㌢❗️
やったりやらなかったり、ほとんどやらない人たちは、永久にZeroのままです❗️やったりやらなかったりでは、ゼロです。勉強は、継続=実行して、なんぼです。

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