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現代受験論🟪公立小の小学生の7割は境界児童である‼️

2025.07.19

🟪公立小の小学生の7割は境界児童である‼️
 親が「うちの子は普通だ」「うちの子はできる方だ」と思っているだけ。内申で「できる」が、7割、「よくできる」が3割、それが普通の子である。しかし、境界児童の上限に該当すると見ていい。「よくできる」がほとんどなくて、「できる」と「もう少し」が半々、これは境界児童である。ろくに勉強も出来もしないのに、習い事、稽古事などやらせて、塾と言えば、近くのチェーン塾の〇〇教室で、繰り返しドリル教材をやるだけ。それで親はまるで御守りを買った気になっている。
 私が診断、指導してきた、そういう子たちは、計算で四苦八苦し、割合はとうとう真の理解には達しなかった。これが公立小の大半の子の姿である。悲惨なのは、親が自分の子は「普通以上だと思って疑わない」ことである。
 公立小の子が、受検で動き出すのは、早くて小4、普通は、小5の夏前後と相場が決まっている。遅い、遅すぎる。わかっていない。親に危機感などない、なんとも楽天的なことである。受検など成功するはずもなく、必然公立中に行くことになるが、確実に、落ちこぼれることが、確定している。
 公立小で、生き残るのは、内申「よくできる」が8割以上ある子の約半分である。その中には本当に知能の高い子もいて、小6からでも高い成績、伸びを見せる。
 私が早期の訓練・指導を言うのは、畢竟公立中学でトップクラスにあるためである。
 大器晩成などない❗️ よく公立小で「できない」子を、この子は「大器晩成だから」などと言う親がいるが、それはない。そんなものはない。小学で光らない子、伸びのない子が、中学になって突然伸びるなどということはない。ただ経験から高校入試型かな、という子はいる。小学で伸び切らない。しかし、伸びている。その到達点が、高校入試かな、というのはある。だから、何がなんでも受検というのは、愚かなことである。
 わたしが、残念なのは、小学生は、小2から訓練すれば、勉強を軸とした生活習慣を身につけさせれば、高校入試では、とにかく成功の可能性はある。もちろん幸運にも受検成功という場面もある。 
 これが、「よくできる」8割以上の子だと、受検成功率は高いし、仮に失敗しても、高校受験で、独自校に行ける可能性はかなり高い。しかし、こういう子でも訓練しなければ、訓練が遅ければ、そうはいかないであろう。
 小4、小5では、境界型の児童では、成功どころか、公立中学で落ちこぼれることも覚悟しなければならない。
 とにかく早期に能力を開発してやること、それは訓練を施すということである。思考訓練ができるのは、竹の会しかないと思っています。
 思考育成を謳う塾も散見しますが、内容が伴わない。ただ「言ってみただけ」、スローガンとして言ってみただけ、内容なし、という看板だけ塾にご注意❗️
 経験は教えてくれる。小2も小4も、スタートは同じということ。小4でも小数の計算からできない。いや小5もほとんど同じ。さすがに小6はと思うが、無塾の子は小数もできない。小数の計算、分数の計算、四則混合と進める手順は変わらない。同じ進めるなら小2から訓練した方がずっといい。竹の会の経験値は、小2でも早い子で、6か月もあれば、難関中学の入試計算問題を解けるようになる。小2で「できる」子がいるのに、小4でも「できない」子がいる。入会、すなわち訓練開始が遅ければ遅いほど、もはやどうにもならない時期は近い。小5でかつ部活に力を分散する子の成功率は、ない。何を勘違いしているのか、わからない人たちである。開始時期が遅すぎるのに、受検に専念するわけでもなく、むしろ部活の方に時間を使いたいだけ使う。受検を舐めているとしか思えない。
 思考力をつける、というのを、指導で実現したのが、竹の会である。ただ、考えろ❗️と放任しておく塾が、考える力を育てる塾などと公言して憚らないのは、呆れるしかない。確かに、教えない、放っておけば、自ら考えるしかないから、なんとか考える子もいる。しかし、小学生は基本バカです。自らなんとかできる子なら、考える塾じゃなくてもいいわけだ。
 考える力、それは、計算からである。計算は、数字という抽象的記号の扱いを抽象的な言語で規制するものである。そうなのだ。思考とは、抽象世界の住人になる、ということである。わたしは、計算を通して、まず抽象世界へ誘う。逆算というさらなる抽象言語を学んで、わたしは、割合という概念を、組み込むために、思考の型を作り、そこに当てはめるという、まず思考の端緒を仕掛けた。訓練を通じて、頭の中に構築することを試みた。子どもたちは、思考の型を通して、とにかく考えることの真似事ができるようになる。そこから型を打ち破る、思考の千変万化に晒され、思考というものが、自由なる想像の世界なのだということを悟るのだ。竹の会の思考育成過程は、経験と成功体験により、確定的な体系として完成していった。竹の会で訓練を受けた子たちが、東大などの国立大学に合格し、その時、竹の会の思考体験を口を揃えて語るのは、そのインパクトの大きさを証明するものである。
 それでも竹の会なら境界児童の上限前後なら「できる子」になる可能性がある。入会試験0点で、受検、高校と失敗しても最後はGMARCHに進学した子、同じ入会試験0点で、比較的偏差値の高い私立中学に合格した子などは、入会試験0点の段階で、境界児童上限ゾーンであった可能性が強かったが、勉強を諦めずむしろ正面から取り組んで本人も向上心をもって努力したことが、能力の壁を突き破ったのだろう。
 竹の会なら普通の子はできる子になる。また優等生は、受検成功か、高校受験成功の可能性が高い。ただし、一定の条件を遵守する限りであるが。竹の会で失敗するのは、教育にカネを徹底して節約する家庭である。また習い事などをやりながら、つまり、勉強に専念できない家庭もアウトである。
 貧困と教育の問題は、貧困は教育を困難にする。中学受験というものが、比較的富裕な層の専権事項であり、生活に余裕のない庶民は、都立に行くしか道はない。しかし、都立は、ピラミッドを形成し、上位の都立に入るには、塾なしではほぼ無理である。大学受験を視野に入れた都立受験は前提であり、都立としても塾が未来を規定する。畢竟底辺都立に行くしかないのが、庶民の現実である。もちろん高卒前提である。
 高卒前提なのは、低偏差値私立高校に行くしかない子たちも同じである。中学時代は、勉強不得意で、部活が中学生活と言えるほど部活部活の毎日を過ごし、内申もない、そこで定員を集められない、破綻寸前の高校が無試験で入学させる。生徒の勉強士気はゼロ、不良ばかり、中途退学は当たり前、なんとか形だけ卒業して、高卒として、社会に放り出される。
 結局8割の親が子どもを結局地獄へ追い落とす‼️のが、現代の現実である。

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