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現代受験論🟪小学生の8割は、境界児童ないし境界層である‼️ 🟥実は、小学から竹の会で思考訓練をしてきた子は東大に受かる蓋然性が高い‼️

2025.08.16

🟥実は、小学から竹の会で思考訓練をしてきた子は東大に受かる蓋然性が高い‼️

ことが、平成20年以降の竹の会の合格実績を見れば見えてくる。平成20年は竹の会のレジュメ世代の初めての高校受験であった。平成18年から開始した公立中高一貫校指導ではまだ今のような完成形のレジュメは制作されていない。本格的なレジュメ指導による合格者は、平成25年の小石川、白鷗、桜修館合格であった。平成19年の九段合格、20年の桜修館合格、22年の両国、桜修館の、23年の小石川、桜修館合格は、レジュメ前夜、様々なレジュメが試行錯誤されては、消え、生まれて、秀作が蓄積されていった時代であった。平成24年から本格的に、都立中高一貫校向けのレジュメ制作に入った。高校入試レジュメが先に完成したのは、もちろん元々竹の会が高校受験専門塾だったからである。それが証拠に平成20年3人いた高校受験生のうち、一人は、都立西・豊島岡女子、一人は、桐蔭理数・立教新座に、もう一人は、都立狛江に合格した。都立西に進んだ女子はお茶の水女子大へ、桐蔭理数に進んだ男子は、東大理IIに進んだ。レジュメ時代の高校受験成功者が、一流大へ合格する流れは、この時期に既に見えていた。
 竹の会は、思考訓練をすることが、なによりも学業成績の飛躍的上昇、受験の成功に、最良の方法だと、考えて、その研究、実践に尽くしてきた。昭和60年開設当初は、迷うことなく授業方式を取ってはいたが、過去問合格法による指導では、徹底して「考える」指導をしてきた。授業方式は「考える」契機を摘むものだとわかっていたが、レジュメ指導方式に辿り着くまでに、随分と紆余曲折、試行錯誤を重ねなければならなかった。大手に負けない、最高の教材が作れるようになったのは、わたしが出会った数式ソフト抜きには考えられない。さらにパソコンの進化も手助けしてくれた。
 わたしは、遂には、筑駒、開成を捉えるほどのレジュメ制作に成功していた。数学は、もともと竹の会のお家芸だった❗️ 旧教室の頃は、竹の会の数学の評判を聞いてよく近隣の学校、大手塾の生徒、英語塾の生徒などが門を叩いた。過去問合格法で培った指導法をレジュメに結実させたのが、レジュメ指導であった。
 さて、平成24年には算数指導法を確立させていた私には、高校入試の数学と繋ぐ意味での算数指導の重要性を改めて再認識していた。算数をマスターするということは、数学マスターへの道の前提過程なのだということである。そしてその算数をスーパーに仕上げるためには、早期訓練しかないのだということである。
🟪小学生の8割は、境界児童ないし境界層である‼️

 境界児童 一般的な意味
境界児童とは、知的発達や学習能力が「健常」と「知的障害」のちょうど境目にある子どもを指します。知能指数(IQ)が おおよそ70〜84程度。知的障害としての判定基準(IQ 70未満)には該当しない。しかし学習面や生活面で平均的な発達の子どもに比べ困難が見られる。
 知能指数90前後までは、境界児童にやや色が付く程度で、境界児童とさしたる差はない。それがわたしの経験値である。90〜99については、境界児童にプラスアルファの層として、わたしは指導に手こずる層にあるとして境界層と呼ぶことにする。

 小学生の8割は、境界層以下である。
 これは、実際に公立小の子どもたち、小2から小6までを指導してきた経験から、わたしが密かに思ってきたことである。
 それでは残りの2割については、どう見るか。学校では、おそらく、上位1割は、優等生としての扱いなのであろう。しかし、実体はまるで違う。「よくできる」を、8割揃える子達でも、指導して見ると、境界層に属するという子もよくいた。おそらく本当の優等生は、一つの学校で五指で数えるほどであろう。
 境界層以下の子たちの親は、自分たちの子が、重大な局面にあることを一向に悟らない。いやむしろ学校の内申がいいと、それなりにできると思いこんで、過信する傾向が強い。だから能力が足りないのに、習い事、稽古事などにいくらでも時間を使う。それどころじゃないのに。一刻も早く訓練をして脳を開発しなければならないのに、どうでもいい習い事、稽古事などに優先して時間を無駄に使う。能力がないのだから、勉強だけでも手一杯なのに。
 境界層の子なら早期に訓練すれば、中にはささやかな成功をする子もいる。もちろん実は境界児童だったっという例も多々あった。そういう子でも訓練を続ければ普通にすることはできるかもしれない。断っておくが、学校の内申がよくても境界層はいくらでもいるということだ。ましてや「よくできる」が半分前後なら確実に落ちこぼれ予備軍である。
 親は何もわかっていない。能力もないのに、習い事などをさせながら受検などと考える。勉強をものにするだけでも時間はいくらあっても足りないのに。それなのに習い事などに時間を分散させる。将来において本当に意味を持つのは、勉強だけであり、その勉強を曖昧にやり過ごしてきた付けは子どもの人生で払うことになる。
 習い事、稽古事などにうつつを抜かしている場合ではないのである。習い事、稽古事では、食ってはいけないでしょ。勉強があさってのままで、勉強以外のことに時間をいくらでもかける、わたしにはとても理解できません。
 境界層が、都立独自校に入ることなど普通はない。境界層は、低偏差値私立にほぼ全員が落とし込まれる。昨今は、少子化でかつては中堅私立と言われたところも随分と入りやすくなったから、もしかしたらそこで拾われる可能性はあるかもしれないが。例えば、日大櫻丘は、少子化で定員を集めるために、もともと定員の半数は推薦としてきたが、定員を集めるのに苦労している、したがって、一般受験の学力も低下は免れない。
 親に自分の子が境界層、境界児童だという自覚がほとんどないから、大手塾の宣伝に踊らされて(騙されて)無駄なカネを使う。受検も受験も失敗するのは塾も想定済みのことで、気が付かないのは、騙された、いや自分の子の本当の能力を知ろうとしない、根拠のない期待だけが巨大化した親ばかりである。
 多くの親は、大手塾、巷の塾の「良くなる」という一般論(結局虚言)を信じて、結局自分の子に、大切な基礎訓練をする時期を逸し、社会の底辺にと追い落とすのは、他ならない、当の親なのである。
 親の過大な、事実を素直に見ない、期待感が、一番まずい形の選択となる。意図しない、最悪の形で社会に送り出す。いや、親は一生子の不運を嘆き、自ら為した過誤に気づくことはない。悪いのはあげて社会のせいとなる。親は責任を取らない世代だったことを忘れてはならない。
 竹の会は、早期入会、訓練開始を勧めてきた。それは、境界層の中にも訓練を継続することで、救われた子がいたからである。今年都立青山高校に合格した男子は、小学3年生から訓練開始したが、小4、いや小5までだったかもしれない、本当にできなかったのだ。小数の計算、分数の計算とどれだけ時間がかかったことか、できない子だったのである。季節講習を含めて休むことはなかった。この男子の例だけでなく、竹の会には早期訓練で成功した例が多数ある。わたしが、早期入会、訓練開始を呼びかけてきたのは、早期訓練なら境界層も救われる可能性があるからである。ただし、訓練できることが確かな塾があるのかどうか、それはわたしにはわからない。他塾のことは知らないから。

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