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現代受験論🟪小学生は訓練してなんぼ‼️ 桜修館のための第一歩

2025.06.26

🟪小学生は訓練してなんぼ‼️
 訓練は七歳から。観阿弥の「花伝書」には、芸事は、七歳からをもって云々とある。
 確かに、可能なのだろう。しかし、学問に関しては、小2をベストとするであろう。ただ小学生なら誰でも訓練できるというわけではない。都の区立小というのは、おそらく半数以上が境界児童ではないのかとの疑いがあり、そういう子の指導困難性は、言語に絶する。
 指導できるのは、公立小の2割ほどではなかろうか。そういう子たちが、指導して伸びていく、それが真実である。例えば、学校の内申の「よくできる」が8割以上ある子でも、まともな子は、その半分ほどではないかと思う。つまり、学校の優等生と言われる子たちも、そのすべてが指導して伸びるというわけではない。さらに、子どもの社会性が決定的なこともよくある。過保護の子はたいてい失敗する。つまり、親の教育無方針が少なからず影響する。
 小学生を無塾で放置するのは、ほぼその子の人生を底辺に置く選択となろう。
 塾ならどこでも同じか。
 もちろんそれはない。訓練と言っても公文式のような訓練はない。また学校の補習などという、塾の存在が怪しい塾はそもそも塾の範疇にない。そもそもわからないから、ついていけないから「教える」などという場当たり的、昨今の医者のような、治療法などないのに、当面の痛みを消す臨床的な対応をするのは、「育てる」「原因」という点が、欠落しており、わたしの考える塾ではない。
 大手塾も、進学型と公立中高一貫校型とに分かれる。結論から言えば、こういう塾は、要は、もともとできる奴が受かるだけのことである。前者と後者では、優秀な奴の集まる比率は、異なるが、いずれにしてももともとできる奴が(自分の能力で)実力をつけて受かるだけのことである。考えても見ればいい。能力差のある子どもたちが、こぞって大手塾に入るなら、同じ教材を使って、同じ講師が、同じ授業をするわけである。みんなが真面目に努力すると仮定すれば(実際には怠ける奴もそれなりにいるから完全に能力順にはならない)、ほぼ能力順に序列が落ち着くだけのことである。だから合格率の高い(これもかなり怪しいのだが)大手塾に入れば受かると誤解して頑張ったが、結果は能力通りだったということである。
 大手塾に通って、1年、2年で成績が伸び悩むようになったら、それはすでに大手の天才育成システムからは落ちこぼれた、つまり大手のプログラムから外れたということです。消化不良という言い方、要は、そこまで頭が良くなかった、ということです。大手では、この手の落ちこぼれは必然的に発生するのが前提で組まれています。つまり、大手ではこういう層のプログラムがない、ということです。
 世間の親たちの、大手塾バイアスは、かなり鞏固なものである。
 竹の会が、令和4年に筑駒、開成に合格したのも、わたしには、大手の弱点が、わかっていたから、できたことである。大手の弱点とは、天才たちにも能力差による序列があり、それを前提に、同じ教材、同じ講師、同じ授業を受けたら、どうなるか、という簡単な理屈である。
 そこで、わたしは、まず教材から大手を打ち抜いた。大手の教材は、どんなにオリジナル性を謳っても、過去問の枠から出ることはないのだ。つまり、天才たちは、大手の設定した過去問という枠に封じ込められている。わたしは、英語、国語については、高校用教材を選択した。数学については、竹の会は伝統的に、数学は群を抜くレベルにあったから、特に、大手を意識した対策は取っていない。理科、社会については、また、これという一冊がないということを知った。しかし、だからこそ大手の天才たちを抜く手立てを打つことができた。こうして、令和3年6月第1回駿台模試に臨んだのである。なんと早稲アカ、サピックスなどの大手の天才たちを牛蒡抜きして、全国1位を取ったのである。
 わたしは、このときほど、自分を入試の軍師、戦略家であると思ったことはない。わたしの戦略が的中したのだから、それくらいは許してもらいたい。
 こぞって大手塾に入る子たち。大手に入ったから受かるんじゃないよ。もともとの能力で受かっただけだよ。
 何も考えずに、つまり、二価値的思考しかできない親たちが、大手塾に入れるのは、それが、能力別な序列化を明らかにするに過ぎない行為だと悟るのは難しい。
 大手はもともと天才でもない子をダメにする、隠れた弊害の方が、深刻である。そういう子は、必ず伸び悩み、成績も頭打ちになるから、いずれわかるのだが、それは大手塾に本来本質として内在する矛盾からそうなるべくしてそうなっただけのことである。こうして大手は、天才とも言えない、それなりにできる子たちを潰すという本質を内在する。
 大手塾には、戦略というものがない。もともと子どもの持ち合わせた能力に依存しているだけだからである。天才が勝手に受かるのだから、何の戦略もない。戦略がないから、天才でもない子たちは、軒並み戦死するしかない。
 竹の会は、決して天才ではない子たちを、わたしの戦略で合格させてきた。だってわたしは大手の弱点を知っているのだから。
 竹の会は、戦略を得意とする塾です。それはもともと天才とも言えない子たちを戦略的に導いて合格させてきたことからわかることです。なお竹の会の代名詞とも言える竹の会のレジュメは戦略そのものです。

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