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現代受験論🟪真理はどこに‼️

2025.08.06

🟪真理はどこに‼️
 「言うならば」で言い換える‼️
 一言で言い換える、「ざっくばらん」に言い換える❗️
 言語論的転回からの考察
 長々しい文章、小難しい文章、抽象的文章などは、ざっくばらんに言い換えることが、記憶と理解を確実にする。言語論とは、言語が作る世界であり、実体を反映したものではない。言語が独立して、独自の表現世界を実現しているものだ。そうなのだ。どう表現するかは、全く自由なのだ。言語の凄いところは、なにも小難しい言い方をしなくても、機知に富んだ、俗な言い方でも、同じ意味合いのことを表すことができることだ。わたしたちの脳は、物事をシンプルに理解するのが好きだ。小難しいのは、面倒臭いと拒否反応するのが脳だ。一言で言い換えれば、なんだ、そうなのか、とすんなり脳に入る。
 ダンベルプレスという種目がある。高重量のダンベルをセットポジションに持ってくるのに、オンザニー(on the knee)という技術がある。単純には、ダンベルを両膝の上に乗せ、後ろに倒れて、ダンベルを腕を伸ばした状態で、垂直に支える状態までを言うのだが、これを言語で説明するのはすこぶる難しいと思う。YouTubeには、やり方を説明した動画が何本もアップされている。いやいやなかなかわかりやすいとは思うのですが、実際に試して見ると、中々上手くいかないのです。なぜなのか。言葉を使って説明する、その言葉にある、と私は疑っている。わたしは、問題は、言語にあると気がついている。素晴らしい動画も複数あったが、そのほとんどが言語論を軽視して動画に頼っている。何気なく使われている言語でも、的確に言い表せている言語なら氷解するのだが。運動を静的に捉えての言語は多くの場合、失敗する。普通の言語で、見事に、動的な動きを言葉にしていれば言語論として、成功する。真理を突く言語はあるのではないかと。如何に素晴らしいものであるかを語る動画は、確かに、情熱の籠った、わかりやすく説明しようという意欲に満ちていた。しかし、いざ実践に供してみると、どこかわからない、要するに、使えない、のである。要点、ツボ、コツを、強調するのあまり、動きの連動がわからない。
 平板な動画であったが、動的に、しかも平板な日常語で説明した動画の、言語論の的を射た正確さに、わたしは、何か、言語論というものの真実を教えてもらったような気がした。痒いところに手が届いた、あの感覚がある。
 実体を説明するのに言語を使うとして、言語は万能でない。言葉で完全に説明し切れるはずはないのである。いったん言葉で表されると、言葉は一人歩きし、言語だけで全く事実と、乖離した世界が作られる。それこそが言語論的転回と言われるものである。だから、特別な言葉、強調された言葉、重要とされる言葉は、全く別の世界を作る危険に満ちている。
 平凡で、日常的で、平板な言語にこそ、事実を正確に、表す契機が満ちているのではないか。
 わたしたちは、やたら騒ぎ立てる言語、一番であることを誇大する言語、物語にみち溢れた言語、好奇心を大いに引く言語、やたらいいことばかり言う言語、超一流を気取る言語などに気を奪われがちである。平板な言語をスルーする傾向が強い。本当に大切なことは、なにかと喧しく強調する言語の中にはないのではないか。本当に大切なことは何気ない平板な言語の中にひっそりと潜むようにあるのではないか。真理は自分の存在を「ここにいるよ」と主張することはない。ひっそりと日常に息を潜めている。だから真理は見えないようにみえるのだ。そは目に見えないもの、それは言語では語られない、言語の隙間にひっそりと姿を隠しているものだ。

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