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竹の会の真実(3)

2015.11.16

 おはようございます。 日曜日の定番指導は、まず、「適性問題のための計算」レジュメを2~3通やって、次に、「適性問題Ⅲの研究」をやることになっています。前者は、仕組まれたトラップにはまらず、答えを出すのが難しいように制作しています。制限時間は5分ですが、毎回合格者は1~3名です。後者は、今年の主力レジュメです。いかにも適性問題Ⅲらしい内容の問題構成になっています。毎回、過去問から構成します。こちらは、制限時間20分。合格者は、3名前後。これが終わると、次は、作文です。45分で過去問を解きます。竹の会の作文は、4段階評価です。合格は、A判定のみ。不合格のうち、B判定は、何かが欠如している不完全な作文、C判定は、Dより「まし」な程度な不合格作文(そもそも作文とは言えない)、D判定は、まず、全く「問いを外した作文」、そして「作文の体を成していない作文」、つまり0点作文です。

 提出作文は次回の指導日に添削して返却します。その際、わたしの「参考作文」、それから添削作文の中から「A作文」ないし「準A作文」をコピーしたものを添付しております。作文は、書き直しを何度もすることが望ましいのですが、これを実行しているのは、3名ほどです。書き直しをまったくやらない子たちは、課題もまったく出してきませんが、いったい普段家庭で何の勉強をしているのでしょうか。

 さて、今日は、竹の会の真実第3回です。

 今日は、竹の会の中学生のことです。かつては竹の会は中学生しかいなかった。いやたまに中学入試の小学生が、1人とか2人いたこともあった。いや、わたしの記憶では、平成10年前後には数人の小学生がいたような記憶がある。日大二中とか、実践女子とか、昭和女子、東大附属もいた。そんなレベルの中学に合格していたのではないか。中学受験専門塾ではないから、そのためのテキストなんかない。過去問を解かせるだけだった。記憶に残っているのは、平成2年の獨協中学に合格した男子とか、平成3年の東洋英和に合格した女子、平成11年立教中、平成15年吉祥女子などであろうか。高校入試専門と言いながら、私立中の研究もやり、過去問はたいていの国立、私立はすべて、しかも過去10年分以上を解き尽くしていた、と思う。

 高校受験はもう超専門で、首都圏の高校の過去問はほぼ解く尽くしていた。数学はもちろん、英語、国語も当然のように解きまくった。あの当時は、今のようにレジュメというものはなく、過去問をとにかく解かせた。志望校の過去問を解かせるのではない。まず、帝京を15年分、東海大高輪を10年分と偏差値55レベルから10年分ずつ解かせて、次第に学校のレベルを上げていき、早実とか、開成とか、そういうレベルにまで押し上げていくのである。私立は3科目分、都立だと、5科目分のコピーが十年分、二十年分と蓄積されるから、最後は、電話帳の厚さ数冊分にもなった。直前2~3か月には、それを7回解き直しさせた。わたしはこれを過去問合格法と呼んでいた。わたしはどこの学校の、どういう問題が使えるとか、たいていはわかっていたから、適宜弱点補強のためにさまざまな過去問を駆使したものである。

 竹の会にはいつの頃からか、数学、英語について、オリジナルのテキストがあった。中学生はたいていそのテキストを使って基礎的なことをマスターさせたものであった。今は、レジュメとなって、そういうものはないけれど、寸法の決まった内容、質で指導するにはなにやら使い勝手が悪くなり、遂には、レジュメにとって代わられた。

 さて、ここからが竹の会の真実であるが、竹の会の中学生には、昔から「学年1番」が多かった。1番でなくても、4番、5番あたりならいくらでもいた。平成5年~8年は全盛期で、当時の代々木中と上原中の数学5は竹の会の子たちが占めていた。竹の会というのは、もともと数学で有名な塾であったと思う。当時、あちこちに評判の英語塾があり、そちらに通いながら、数学は竹の会という生徒もいた。わたしはそれが悔しくて、とにかく英語の研究に没頭した。竹の会の今では、定番テキストとされている、「英語指導案」は、このようなわたしの苦悩の中から生まれた、傑作であった。痛快だったのは、英語塾信仰の親や子たちを竹の会の子たちの受験英語が遂には凌駕するようになったことであった。模試などでは、竹の会の受験英語をやった子たちのほうがいつも勝っていた。わたしは遂に巷の英語塾に勝ったのだ。竹の会は数学だけではない。英語だって一流だと示したかった。国語だって、理科、社会だって、一流だと示したかった。それが当時のわたしの真実の姿だったのだろうと思う。

 平成26年に都立駒場高校に合格した女子生徒は、わたしが小4から育ててきた、生粋の竹の会育ちの子であったが、彼女は、中1のとき、学年4番前後、級友にどうしても勝てない女子がいて、その女子がいつも学年1番でした。しかもその女子は塾にも行っていないというのです。その女子を遂に彼女が抜くときがきました。中2の最初の定期試験で、彼女は遂に学年1番となりました。それから彼女は2年間ずっとその1番を維持し続けたのです。件の塾にも行ってないという女子は、中3になって塾を探して行き始めたということですが、時既に遅く、結局、かなり下の都立に行ったということです。竹の会にはこのような話がいくらでもあります。今の竹の会の高校入試の指導技術は、過去30年の経験が熟成し、発酵した、完成域にあると思っています。

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