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筑駒合格塾/開成合格塾/渋幕特別特待生合格塾/駿台模試全国1位輩出塾/桜修館合格塾/慶應女子対策/青山学院対策/上位都立対##国語の正体🔛中学受験とは、子どもをまず思考態にすることが、前提となる‼️

2023.12.25

国語の正体

🔛中学受験とは、子どもをまず思考態にすることが、前提となる‼️
 まだ思考の何たるかもわからない子にいきなり考えさせる、これは土台無理な話しである。大手の欠陥は、この思考を培う過程を飛ばして、いきなり問題集を解かせる、解かせることで、いわばいきなりの問題訓練による方法である。例えば、計算は、テキストを授業で教えて、後は、問題集を勝手に、やってください、というわけである。ここで、また別の問題が生じる。やる子とやらない子の問題。そして(能力的に)やれない子とやれる子の問題。
 つまり、訓練は本人任せである。
 割合なんかも、テキストの一単元として授業で、1ないし2回ほどやって、あとは問題集をやっておきなさい、というやり方である。
 このどこがいいのか。親たちは、このやり方のどこがそんなに魅力的なのか。わたしには、さっぱりわからない。だって、竹の会なら、割合だけで、一年、二年とかけて、じっくりと割合概念が、頭の中に思考の枠組みとして組み込まれるまで、やらせるから。わたしの経験では、割合を一度で理解したなんてのは、ゼロだ。あの竹の会の開成合格者だって、二年かけてる。
 というか、大手で生き残れるのは、もともとの知能・才能のある子だけであろう。
 竹の会の割合概念の習得過程は、飽くまでも、思考を培うための手段として、扱われている。割合が今のところ、もっとも優れた概念枠組みとだと考えています。
 わたしは、テキストをよく読みもしないで、すぐ訊く、訊いて済まそうという人間を放逐したい。少なくとも竹の会にはそういう人間はいない。そうでなければならない、と思っています。
 考えて解く、そういうスタイルを基本に備えた子どもを育てたい、そう思ってきました。考えるというのは、脳を使うこと、ですが、話しはそう単純ではない。 
 もっと具体的に、考えるということを分析してみましょうか。
 わたしたちは、脳にさまざまなイメージ、感情、苦痛、いわゆる喜怒哀楽を表象します。こういう脳の波動は、もし言葉がなければ、実に、曖昧、朦朧としたものなのではないか、と思います。
 言葉は、そうした脳の未分化な表象を形にするものです。わたしたちは、言葉を使うことによって、脳を整理し、曖昧な表象に形を与えてきたのです。言葉は、自在に操られるようになって、逆に、脳を支配するようになりました。脳から生まれた言葉は、いつしか言葉だけが価値ある、言語世界の支配者になったのです。
 ところで、言葉は、脳の表象を漏らさず形にできるものではありません。また言葉が脳の表象をずれて形にすることだってあるはずです。
 考えるとは、もはや脳の表象と離れて、言葉そのものが、論理を構成し、私たちは、まさに、言語論的世界に身を置くことになるのです。
 こうして「考える」とは、まず、言語世界の住人となることを意味します。この言語世界で、生きていくためには、まず、言語に精通する必要があります。考えるというのは、言語を縦横に使いこなすことにほかなりません。わたしたちが、漢字を覚え、諺を知り、知識を広げるのは、ほかならない、言語世界を生きていくための処方だからです。よく国語ができないという子がいますけど、自分が言語世界に生きている、という意識が希薄なのだ、と思います。国語ができないという子は、自分が言語世界に生きているという自覚がないのだと思います。もしその自覚があれば、言語世界の食糧である言語を積極的に食べているはずです。しかし、国語ができない子は、言語的には栄養失調です。言語の視点で見れば、ガリガリに痩せています。そういう子が、国語の読み取りなんかできるはずがないのです。
 国語ができない子というのは、言語世界に身を置いていない。感覚、感覚的言語、思考非対応言語で、生きているのだと思います。
 思考非対応言語というのは、わたしの造語ですが、昨今の子どもが、現実に目を背けて、現在の環境とは、無関係に、志望校も決める、憧れる、気に入る、のは,感覚的世界に住んでするからです。それは感受性ということである。その感受性は、自分の中に内在する、真の才能としてある、と考えるのです。自分は本当は凄い才能を持っている。しかし、今はそれが隠れているだけだ。自分の実体はとてつもない天才なのだと思っている子のなんと多いことか。これは偏に親の教育の賜であろう。わたしから言えば才能の虚大化の間違いなのかと思うのだが。
 国語というのは、言語世界における言葉の、独立した組み合わせをするところである。なにか実体があるなどと思っているから、ただの言葉がまやかしになる。国語の苦手な子というのは、どうも言葉を言葉の世界のものとして認められない。なにか自分の実体と結びつけて考える傾向がある。感受性で、つまり、心の実体で判断しようとする。しかし、言語というものは、心の実体とは無関係である。言語論という世界の中で、言語は完結している。
 言語の正体、性格を見極めなければならない。
 言語はなんのためにあるのか。
 これは、言語のもっと本質的な働きであり、言語は嘘をつくためにある。言語で他人を騙すというのは、言語そのものに備わった宿命である。言語のない動物にはウソがつけない。
 宗教家も、医者も、官僚も、政治家も、弁護士も、みな言語に支配されて、ウソをつく。
 言語は、悪口を言うためにある。これも動物にはない。
 こうして、言語の嘘をつく、悪口を言う、という本質は、かなり高度な知的な言語の使い方であるといえる。
 だから言語は信用できない。だから人間は、信用というものを行動で示すことで積み上げていくのだ。人間は、意味は違うが、信用創造することで、言語の嘘をカバーするのだ。
言語というのは、本質的に、嘘をつくためにある。
オレオレ詐欺は、言語を悪用したのではなく、言語の本性をそのまま体現したものだ。言語はあらゆるところで、嘘をつく。
政治家は、公約で嘘をいい、政策で嘘をつく。万博の予算が、またまた膨れ上がって、歯止めがかからない。まず利権を確保してから経費を計上していくから、どこまで膨れるか、天井がない。みな税金で美味い汁を吸おうという輩ばかりだから、嘘がまかり通る。
医師も嘘をつく。弁護士も嘘をつく。みな言語が嘘をつくためにあるということは暗に知っている。
子どもはすぐに言語で嘘をつけることを理解する。
宗教は、言語で、架空の物語、つまり、嘘を作り上げる。
人は、言語という嘘によって、支配される。言語の嘘が人を自殺にも追いこむ。
言語は、あるときは、ウイルスと変わらない。特殊な考え方が、人を洗脳し、人を惑わせる。
わたしたちは、もういい加減に、言語というウイルスとの耐性、抗生を獲得して、言語支配からの解放を果たしてよさそうなものだが、世の中の人間は、いとも簡単に、言語という仕組みに仕込まれたウイルスに感染し、人生、人格さえもウイルスの支配のままに、生を全うして終わるのが常ではないか。
宗教による言語ウイルス感染による、いわゆる洗脳が、もっともわかりやすいかと思われるが、大手塾の、至るところに設置した宣伝は、言語を駆使して、テレビ、ネット、電車の中、駅の掲示板で、訴えかける。宣伝という名の洗脳は、たちまち親たちに感染し、蔓延する。
言語は騙すためにある。騙された親たちが、子を底辺に追いやる構造は、今の世の成り立ちをこれほどわかりやすく敷衍したものはない。
政権の中枢は、腐り、予算から利権を吸い取る構造を政治と称する輩が、ことある毎に、合法的に、予算から、利権を掠めとる。

国民は、明らかに搾取されているのに、抗うこともない。世の中を動かすのは、利権構造であり、もはや一人の清廉な政治家がどうのこうのできる段階ではない。民主主義という大義名分で、一人の清廉な政治家を邪な多数が潰すのが、今の民主主義という名の利権主義である。
 わたしたちは、言語によって、考え、言語によって考えを表現する。その考えも言語で構成されている。言語世界は、言語で完結している。わたしたちの表象そのものは、言語がなければ形にならない。曖昧で、未分化で、区別のつけられない、もやもやしたものである。
言語が貧困ならどうなるか、幼児レベルの言語で何ができるか。
わたしたちの脳を整理するのは、言葉、言語にほかならない。
もうお分かりでしょう。頭を鋭くする、シャープにするというのは、言語に熟達することなのである。学問というのは、知識を獲得するというより、思考の道具としての言語の操り方を学ぶものだ、と言って差し支えないと思います。
専門家は、言葉の価値を忘れる❗️ 知識を専門価値を至上と考えるからだ。しかし、例えば、著名な医師に、ウクライナ問題を訊いても、彼は無力である。その手の情報がないこともあるが、そもそも言葉が言語論世界のみに通用する道具だとして理解してこなかったからである。わたしたちは、脳の認識する表象を言葉にしなければ、自分でも明確に整理できないし、したがって相手に、世間に、伝えることもできないのである。
 言葉があって、初めて専門知識があるのである。少なくとも言語の価値を認識するなら、わたしたちは、言語というものの意味を理解し、言語論に関心を持つはずである。国語というのは、言語論の勉強と心得なければならない。俗に、読解が苦手というのは、言語の重要性に無知のままに、漠然と文章を読むからである。
言語論に関心を向ければ読み方も変わってくるはずである。
例えば、国語では、よく比喩が使われる。あるいは、「例えば」と例示がなされる。これこそ、脳の表象、思考の実体が、言葉に変換されるとき、言葉が、脳の表象を必ずしも正確に言い表せないことを示している。言葉は、脳の表象を正確に変換できないのだ。比喩を用いるのは、少しでも脳の表象を理解してもらおうという努力なのだ。だから暗喩というのは、もはや言葉遊びである。
読解の際、国語の文章というのが、何かを訴えるために、言い換えをしながら繋いでいくというのも、言語の働きがわかっていれば、至極当然の流れということがわかる。評論というのは、筆者の心、いや脳にある思考の枠組み、を言語を通して、文章化したものである。そうなると筆者が、うまく言語化できたのか、疑われる。わたしたちは、言語そのものを言語のみを規定しながら吟味しなければならない。だってそれしか著者の脳の中を知る手立てはないのであるから。著者が、言い換えたなら、それは、言語表現が不足、不十分という意識が、あるからである。わたしたちは、たくさんの言い換えが、たった一つの脳の表象を言葉で表現しているのだということを知らなければならない。
国語の読解というのは、英文の読解も、脳の表象を言葉で表したものという、簡単な事実に従うならば、発現された言葉は、脳の表象(実体)を、言葉で捉えて、さまざまに表現したものであり、言い換えと言いながら、それは、言葉を捉えて別の言葉で言い換えたというものではなく、すべて脳の表象を新たに表現したに過ぎない、のである。
 読解とは、脳の表象していることを、様々な言語表現を手がかりとして、根拠として、証憑として、実像として読み取ることである。
 わたしたちは、読解に関するこれまでの方法論について、疑いの目をもっていい。特に、予備校の看板講師が、これが読解の本質だ❗️みたいな本をそれこそ諸子百家然と書いているが、いずれも言葉というものの、言語論的転回によって明らかにされた属性を全くと知らないのであるから、いくらどれを読んでも結局しっくりこないのは、当然と言えば、当然である。
わたしたちは、読解の意識変換をしなければならない。
読解というものが、脳の表象を使われた言葉を手がかりに推測するものとするならば、わたしたちは、挙げて言葉、語彙の守備範囲を意識しながら、語彙の意味だけではなく、その使われ方までも見届けておかなければならない。その使われ方こそが、脳の表象の具現化を示すものだから。
 こうして、これからのわたしの研究課題が、国語は何者か、となることは、容易に想像できることと思います。
 竹の会数学の書籍化による啓蒙開始
 開成・筑駒をおそらくトップ10合格したと思われる、竹の会の令和4年の受験生が、一気にトップレベルの数学を手にしたのは、竹の会秘蔵のレジュメ集のお陰であることは、外に知られていない。
 同じレジュメでも個人の能力差がその効果を違わしめるのは、当然のこととして、とにかくも彼は駿台模試デビューからたちまち全国水準トップ10に躍り出たのだ。
 彼が、中学で飛躍できた理由の一つに、彼が小学時代から竹の会で、基礎を研鑽してきたこと、その訓練において、竹の会では、完全にこなした者は、2人ないし3人しかいないという、最難関レジュメまで到達していた、という事実は、忘れてはならない。決して、中学になって突如として頭角を表してわけではない。竹の会での3年に及ぶ、訓練の日々が、持ち前の才能と相俟って、中学での飛躍を可能にしたのだ。
 と言っても、中3の6月の駿台模試デビューまでは、彼は竹の会でひたすらわたしの指導の下、竹の会レジュメの修得に没頭していたのだ。
 竹の会のレジュメの素晴らしさは、実は竹の会の中では、有名なことであった。このレジュメで普通の子がメキメキと力をつけたことは知る人ぞ知るである。例えば、令和4年の都立広尾高校合格者は、中3の7月の模試では数学50点ほどであったが、竹の会のあるレジュメを終えて、解き直しが進んだ12月には、なんと90点を取っていた。さらに驚くことは、本番でも数学は90点取れたことであった。
彼女は、そのレジュメをほとんど解けなかったのだ。彼女は解説を読みながら勉強したのだ。そういうレベルの子でも、数学90点にしてしまう、これが竹の会のレジュメの凄さなのだ。
 わたしは、令和6年の最初の書籍化として、数学に取り組むことにしている。竹の会のレジュメをそのまま公開することはしないが、わたしは、竹の会数学というものを、わたしなりに換骨奪胎して、新たな構想の下に、難関校対策としての数学書を書きたいと思う。
 現在、竹の会では、高校入試シリーズとして、書籍化が進んでいるが、いよいよ本丸の数学シリーズの発刊に向けて、始動開始である。

この文章を書くにあたって、精読した本
岩波講座 現代思想4「言語論的転回」
講談社現代新書「ヒトはなぜ言葉が使えるか 脳と心の不思議」山鳥重

驚異の合格率 合格実績

2023 桜修館 普連土中学 都立広尾高校

2022 筑波大学附属駒場高校 開成高校 渋谷幕張高校 城北高校 都立広尾高校

2021 桜修館3名

2020 都立小石川中等学校

2019 桜修館2名 区立九段中等2名 攻玉社中学 巣鴨中学 都立青山高校

2018 桜修館 都立富士中等2名 東京農大第一中学

2016 都立小石川中等 区立九段中等 都立富士中 都立白鷗中 都立戸山高 都立文京高校

2015 桜修館 都立富士中 都立戸山高校

2014 都立駒場高校

2013 都立小石川中等 都立白鷗中 桜修館 都立北園高校

2012 都立富士中

2011 都立小石川中等 桜修館 都立小山台高校 都立文京高校 都立高専

2010 都立両国中 桜修館 東大附属 都立富士高校

2008 桜修館 慶應藤沢中学 都立西高校 豊島岡女子高校 桐蔭学園理数 立教新座高校

2007 区立九段中等 東大附属 都立狛江高校

 

竹の会が贈る,高校入試シリーズ第3弾

 

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◎いよいよ執筆開始 竹の会数学シリーズ

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本書はそのような竹の会算数の仕組みをわかりやすく紹介したもの。

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