2025.05.17
表層的理解から深層理解へ
小5になっても「割合」の理解がどうしても表層的な理解から抜けられない子たちというのがいるわけです。こういう子たちはじっくりと時間をかけて頭の中でつながるというか,腑に落ちるまで基本を繰り返してきたのがこれまでのやり方でした。この表層的理解というのは,公文式に通っている子たちに感じたことがありました。例を示されてそのやり方を真似して解くということを反復繰り返すわけです。何か解き方の型というものを覚えてその解き方を使うという意識ですね。わたしはこの段階の子を表層的な理解段階ととらえているわけです。型を覚えて型の解き方を使うという子たちです。こういう子たちの特徴は意味を考えないで形が似ているかを見るわけです。もともとの意味から考えないのでどうしてもどこかでほころびる。詰まるわけです。いずれ伸び止まりになることは目に見えているわけです。意味から考える,理解しようとする子は,説明すると「なるほど」と言いますね。頭の中で「つながった」わけです。しかし,説明してもどこか余所を見ている,反応がない,そういう子がいます。勉強というものを型を覚えて解き方というものを「使う」というふうに考えているのです。考えるというのは,子どもにはとても苦しいことなわけです。「どうしても解き方がわからない」と言って親に泣いて訴えて辞めた子がいましたが,意味というものを理解していくということは難しいことです。もって生まれた才能というものが子どもたちを規定してもいます。努力でどうにかなることでもない。真摯に「わからない」という状況に取り組むこと,意味を考えるということは苦しくしかたない。だからどうしても楽をしたくなる。逃げたくなる。「わかった」ふりをして回避する子も出てくる。
だからわたしはいろいろ考える。本人が考えるしかないのだが,そのためにレジュメを製作するわけです。そもそも文章を読んで理解できない子には何を教えても無駄だという前提がある。その意味で教科書も読めない子ではそもそもの指導は無理なのである。だから,そこが譲歩できる最低線である。竹の会はレジュメで考えるということを導いてきたのだから。
こうして「新算数の魁」の執筆に取り組んでいるわけです。「割り算の本質と単位当たり量の考え方の位置づけ」から説き起こしています。竹の会のミクロマクロ法は封印して,新たな視点,発想から執筆しています。計画中のオンライン・レジュメ原稿の1号になるかと思います。