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遅くに、竹の会の門を叩く者は跡を絶たず!

2021.08.12

 

 

 ◎遅くに、竹の会の門を叩く者、跡を絶たず!

 小6前後の入会者には、それまで大手にいたという者も多いが、塾に行ったことがないというものも少なからずいる。これはどうしたかことか。経済的理由が一番大きいのかな。
 昨今は、国民を上級国民下級国民に分ける説明が、説得性を持って説かれている。上級国民というのは、経済的に恵まれた層である。カネがなければ学校にも塾にも行けない。東大生の80%が、富裕層の子弟であるということは有名である。それはそうであろう。小学校低学年から進学塾にカネを出して通わせる。私立難関を受けさせるのだ。私立の学費は高い。東大に入るためには、中学、高校でも塾、予備校、家庭教師とカネをかけなければならない。東大に入るには、それだけ資本のかかる話しなのである。
 だから塾に行かないという選択は、下級国民の選択にならざるを得ない。天才を除き。公立中高一貫校狙いで、大手にカネを使う人も多い。いやほとんどの親たちが選ぶのは大手だ。
 しかし、わたしは、断言できる。あなたたちは、大手を選んだ時点で、子を生贄に差し出したに等しい。大手に一年いたという子でまともに思考を鍛えられた例を知らない。私から見れば、何という無駄な一年を過ごしたのだろうとしか言えない。少なくとも、竹の会の一年は、思考訓練に明け暮れ、計算を鍛えられ、まず考えるという姿勢を持つことができたであろうに。

 竹の会で低学年から鍛えられた者は、ものが違う。計算力は、難関中学入試問題を苦もなく解くほどであり、割合で鍛えられた基礎思考は確実に事実を捉え、的確な判断をするであろう。大手に一年、二年いても、テキスト、授業でただカリキュラムをこなしただけで、何も残っていない。もっとも基礎を鍛えられる時期にいったい何をしてきたのか。もったいない。竹の会に小5の終わる頃、あるいは小6になって、塾に行ったこともないとか、あるいは大手からきた子たちが、竹の会の指導に慣れて来て、必ず言う言葉がある。「もっと早く来たかった」「一年前に入ってたら」など。これは、平成二十年以降の顕著な事実である。それまでは、「竹の会に来てよかった」というのが、普通だったように思う。入会時期について、悔やむのは、多くは早くから大手塾に行った子に多い。
 大手に二年もいたというのに、簡単な分数の混合演算もできない。中には通分もおかしかった子もいた。割合ともなると全くできなかった。「塾でやったのだろ」と尋ねると、言い訳は、「テキストの1単元をやっただけで、2ページくらいしかありません」みたいなことを言う。その単元を終わったら、終わりか、みたいな話しである。まあ、いろんな知識を総花的に終わらせるということなのだろう。
 実は、昔、四谷大塚の教材を買ったことがある。試験的に、受験の小5に使った。伸びは今ひとつ。今の竹の会のように、指導の成果が、かたちになって、右肩上がりの曲線になって表れる実感はなかった。その子は第一志望はダメで、結局高校受験で、その第一志望だった高校に合格した。あの頃は、わたしも迷いがあり、いろいろ試していた。サピックスの教材は以前通っていたという親が竹の会に提供してきた。ところがその教材をめくって見て、なんと新小学問題集だったのには驚いた。そういえば、サピックスは、高校受験直前に、声の教育社の過去問をコピーして生徒に配布していた。大手といってもそんなことをやるのか、と唖然とした。声の教育社の解答をコピーして生徒に丸投げさていた。当の生徒は、頭を抱えていた。考えられないことだ。竹の会なら全てわたしが解いてわたしの解法を示してきたからだ。そもそもそのコピー量がすごかった。難関校、早稲田高等学院みたいなところが10ほどあって、それぞれ一冊分全てをコピーしたものを渡していた。そもそも、必ずしも解答解説がベストではない。過去、高校入試では、わたしはより簡略な解答を数多く発見した。もし市販の解答をそのまま鵜呑みにして、この問題にはこの解答しかないと信じて勉強したとしたら、なんとも不幸な話しだ。解答は3通りはある。指導者は一番いい解答を見つけて、子どもに提供する義務がある。市販の解答の丸投げはない。その生徒は、中3の11月から竹の会に全てを委ねた。彼女は中1から竹の会にいたけれど、メインはサピックスだった。サピックスを止めて、竹の会でやった。青山学院高等部合格。高校に入るとサピックスの高校生向け塾から誘いがあったが、お母さんは、もう大手は懲り懲りと、竹の会に大学入試を依頼した。懇請されたのだ。詳細は省くが彼女は無事現役で慶應大学に合格を果たした。大学の4年間、毎年クリスマスにはお母さんから感謝の気持ちとしてワインが彼女によって届けられた。なにしろ青山学院高等部で慶應は1人だけ、代ゼミとか河合塾に行っていた同学年の生徒全員落ちたのだから、お母さんの竹の会に対する感謝は最高点に達していた。彼女は今大手新聞の第一線の記者として活躍している。

 

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