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開成高校、筑波大附属駒場高校、慶應女子、早稲田実業高校をめざす人たちへ

2023.04.05

開成高校、筑波大附属駒場高校、慶應女子、早稲田実業高校をめざす人たちへ
 あなたたちは、知能が高く、勉強以外には目もくれない、向上心に富み、大きな夢を抱き、努力を惜しまない人たちなのでしょう。
 みなさんは、大手の塾に通い、充実した生活を過ごしていることでしょう。
 竹の会では、あなたたちのような才能溢れた人が来ることはほとんどありません。
 もともとそういう高い理想を持っていたわけではなく、竹の会で学ぶうちにそういういうところを受けてみたい、と思う生徒が本当に、一人いることがある、そんな程度です。
 竹の会では、平成10年に、早稲田実業高校普通、同商業に合格したのが、難関私立に合格した初めての実績です。もっとも青山学院高等部にはそれまでにもそれ以後にも合格しています。市川高校もそうです。平成20年に、試しに受けてみた豊島岡女子学園高校に合格しましたが、竹の会は、昔から都立を志望する子がほとんどです。都立も、主軸は、西、青山、新宿駒場でした。グループ制時代から21グループのトップ戸山はなぜか敬遠されていたのです。日比谷は、学区制のため受けることはできなかったのです。だから竹の会から難関私立をめざす生徒はほぼ皆無でした。中途半端な秀才ほど、そういう私立に憧れます。竹の会では実績もないからと大手に転塾していくのが普通でした。
 都立中高一貫校制度がスタートして、それまで私立受験とは無関係だった子たちが、一斉に受検に関心を持つようになりました。中には、磨けば光る逸材もたまにですがいました。竹の会で、令和4年に、開成高校、筑波大学附属駒場高校、渋谷幕張高校などを次々と撃破した生徒もその一人でした。かれは小4から小石川をめざして竹の会に通ってきた子でした。早稲田進学会の模試では全回上位に名を連ねました。彼は大手塾など知らず、小石川に落ちた時のショックから立ち直り、高校入試をめざしたのです。最初から難関私立を受けるという気もなかったのだと思います。ただ漠然と日比谷は頭にあったとは思います。
 竹の会の指導は、実は、どんな難関私立でも対応できる力を秘していたのです。それはわたしの思いであり、わたしを信頼した者だけが知る真理です。中途半端な秀才にはわからないことです。わたしの指導力に懐疑的な親子、それどころか疑う、否定する親子ばかりです。わたしの真の力を知らない、人たちばかりでした。
 わたしは、単なる指導者というより、戦国時代に活躍した軍師のような存在だと自分では思っています。敵を倒すために戦略を、巡らす。敵とは、同じ受験者軍です。彼らとは、大手塾に通う天才、秀才、中途半端秀才、夢を追う凡才たちのことです。わたしのターゲットは、真の天才集団です。駿台模試で100番以内に入れる生徒たちです。
 わたしは、本人の志望を聞いて、開成高校と筑駒高校に的を絞りました。だから念のために受けた渋谷幕張と城北は、過去問など一切やってませんし、本人から「やった方がいいのか」と尋ねられて、「やる必要はない。時間がもったいない」と答えています。渋谷幕張は、特別特待生合格、つまり、特待生のさらに特別ということです。城北は時間が余って受けても仕方なかった、と後から言っていましたね。
 もちろん筑駒と開成の過去問はそれぞれ過去30年分はやりました。これは直前のチェックに使ったということです。別に過去問を研究して対策をとったということではありません。
 大手の天才集団には、致命的な弱点があります。わたしは最初からそれを見抜いておりました。大手塾の教材は全て過去問ベースでできています。これはわたしが実際に複数の大手塾の教材を手に入れて検証しています。さて、大手塾では、もちろん授業形式です。同じ教材を使って、同じ講師が、同じ授業をやります。これでどうしたら天才の間に差がつくのか。テキストをみな理解したら成績は変わらないはずです。しかし、現実には、順位が如実に現れる。これは、天才の能力差でしかない。同じことを学んでの差なのであるから。
 過去問ベースの教材が天才を縛る。これが弱点でなくて何であろう。
 わたしは受験を戦争に準えて、自分のことを軍師と言いいました。軍師であるから、敵を分析し、弱点を探し、戦略を、立てる。都立中の受検でも、軍師であることは変わらないが、小学生であることが、戦略を不確実にさせる。高校入試は、確実に戦略で受かる。
 わたしは、開成高校の各科目について、戦略を立てた。
数学は竹の会のお家芸とされてきた。旧教室時代は、竹の会の数学の評判は近隣に響いて、進学塾の秀才や、英語塾の子たちが、競って門戸を叩いた。開成高校の戦略でも、基本はわたしの執筆したレジュメで、特に、特別なことはしていません。ただし、戦略的な対策はいろいろとやっています。
国語は、開成も筑駒も、記述式しか出ない。だからその戦略が問われる。戦略は全くのわたしの独断です。具体的な戦略の内容はもちろん秘密です。
英語は、開成も筑駒も英作文の比率が高い。もちろん文法、読解も高度。しかし、たかが高校入試の英語である。ただ英語は8割取っても全国順位だと70番ぐらい、英語はできる奴が多い。わたしは軍師である。何をどうやらせたかは秘密だが、トップ10まで押し上げた。
一番苦労したのは、理科、社会であった。これは、市販の参考書、問題集で、これだけというのが「ない」からである。大手塾は、過去問ベースのデータ知識集を売りにしている。しかし、決めてを欠く。だから悩んだ。市販の問題集は何冊かやらせた。理科、社会に関しては、過去問ベースのデータを考慮せざるを得ない。範囲確定に苦慮した。そこで首都圏、関西圏の有名大手塾、予備校のテキストをいろいろと手に入れて、調べた。結果的には、これもトップ10入りした。
 6月駿台模試デビュー開成高校志望者中3位筑駒志望中3位慶應志木志望者中1位都立日比谷志望者千数百人中1位全国順位7位。
第2回駿台模試全国順位1位。第3回、第4回も全国順位すべてトップ10。
 わたしは、開成、筑駒の受験は初めてである。しかし、わたしには、そういうことはどうでもいい。もちろん世間のみなさんは、頭から信用しないことも承知です。高々城北程度を受けるというので、竹の会を止めて大手に行くという親子はもう何度も見てきました。
 知名度もそういう実績もない竹の会を信用しろ、というのが、ない、それはわかります。
 昭和63年、青山学院高等部に合格した生徒は、中2の12月竹の会を訪ねてきたときは、複数の有名塾を渡り歩いた後、予備校(河合塾)に通っていました。しかも家庭教師を二人もつけていたのです。東大生です。彼は私の指導を受けてその素晴らしさに感動したと伝えてきました。「僕は、これまでいろんな塾を経験してきましたが、先生のような人に出会ったことはありません」と興奮して一気にまくし立てました。彼の第一志望は青山学院高等部でした。学校の先生からは「君の偏差値ではとても無理だ」と言われたそうです。しかし、かれは実力がつくにしたがって、進学校に「行きたい」と思うようになりました。それで市川高校を受けたのです。合格はしましたが、ご両親の反対で進学を断念しました。彼はこっそり開成高校をも受けていたのです。これは無理でした。わたしの聞いてない話しです。一家の第一希望、青山学院高等部に合格しました。私の初めての仕事でした。わたしは、この頃から、受験を戦に準えて、戦略を練り、授ける軍師のようなところがある、と自覚していました。戦に勝つ、戦う、ということを軍師の仕事として考えていたのだと思います。
 わたしは、よく「手をかける」指導ということを言います。これは都立高校の指導の時に使う言葉です。都立高校は、手をかけてやれば受かる。そういうケースがほとんどです。特に今の竹の会は、受験生が1人、2人というのが、常態ですから、手をかけて指導していけば受かる蓋然性がかなり高いのです。手をかけなければ落ちる、これは経験則です。手をかけたくてもかけられない、生徒は、私には無理です。部活中心の子と親、情報を一切隠す親子、真実を隠す親子、自分が絶対正しいという親、独特の価値観の親、こういうのは、ダメです。「3か月通って結果の出ない塾はダメだ」と親が言ったと言って止めた中3がいましたが、本人の理解力、努力、勉強量など一切問わないところが如何にも独断的で、こういうのは私はダメです。「数学は解き方を教えて理解させればいいのだ」とわたしに注文つけてきた母親もいましたね。
 わたしは、竹の会で輝かしい実績を遺したということもない、一介の塾の先生です。
 このわたしを信じる人が、たまに奇跡的にいるのです。
 そういう人が現れた時、わたしはただの塾の先生から、戦を仕掛ける軍師へと変わる。またわたしを信頼する親子に出会えば、手をかける。それだけのことです。
 わたしを信頼して託した親子が、慶應大学に合格し、豊島岡女子に合格し、早稲田実業高校に合格し、青山学院高等部に合格した、ただそれだけのことです。

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