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高校入試は小4から準備/公立中高一貫受検は勉強の入口/手抜き人生に堕するのか

2017.04.25

 おはようございます。4月24日になりました。桜の季節は一瞬にして去り、葉桜の緑が魁でもあるまいが見れば周りは新緑に包まれてこれからもっとも穏やかな季節へと移りつつあります。しかし、それも一瞬のことで5月の連休を終えたあたりから汗ばむ日が増えていくのが常の記憶です。

 受検までおよそ280日、一日5時間勉強できるとしてその総量は1400時間。しかし、多くの人たちがこの与えられた時間の総量をいくらでも減らしていく、無為に過ごしていくのです。合格する者と落ちる者の究極の差は受検勉強にかけた時間の総量の差にあることは間違いありません。

 平成27年の夏の話しです。夏休みこそ唯一勉強時間を確保できる機会というのにまあいろいろと計画のある人ばかりで勉強に時間をかけるという意識が希薄なのには驚かされました。帰省、法事、旅行、スポーツなどなど勉強どころではありません。これで受かるつもりでいるのだからまた驚かされる。あのときわたしは一日7時間以上の勉強を期待しましたが、実行したのは2名だけでした。いや2名もいたというのが正しいのか。あの夏は小石川に合格可能性のある子が4人もいましたが、7時間を実行したのは1人だけでした。知能も高く優秀な子たちでしたが、なぜかどんなに時間があっても3時間そこそこの勉強しかやらない。テレビでスポーツ観戦に夢中という報告もありましたが、一日の勉強時間0というのはありえない話しです。とにかく無為に時を過ごして、夏は一瞬に終わりました。このとき7時間を実行した2人はそれぞれ小石川と九段に合格を果たしたのですが、他の子たちの勉強の総量不足はわたしにはずっと不安要素として心に在り続けました。掲示板の前に立つ、そのときにいつも思うこと、「君は悔いのない勉強をしてきたか」です。それなら君の番号は必ず掲示板にある、わたしは押し寄せる不安、いや恐怖が最高潮に達する中で、「いや、君は確かにわたしの思うとおりの勉強をしてきた」という確信でその不安を打ち消し、掲示板の番号群の中に我を忘れて無と化したのです。

 白鷗の凋落はどうしたのか。大泉や武蔵の適性問題が難しいのに対して、白鷗の易しさといったらなかった。国語重視というのも凋落に関係があるのかもしれない。作文偏重は学校側にはかなりリスクをともなうということがようやくわかってきたようである。桜修館にしても算数がとれない子が作文で逆転というようなことが普通にありこれが結局は進学実績に反映しているのではないか。適性問題を難しくしたほうがいい生徒が入る。富士も問題が易しい。武蔵や大泉の問題を解いてみればすぐわかることである。武蔵、大泉が伸びてきたのには理由がある、ということである。作文で合格する、算数はまるでダメ生徒が紛れ込む、作文偏重の学校はいずれ落ちていく。白鷗然り、富士然り、桜修館然り。

 日比谷と西、そして戸山が東京23区から天才たちを吸い上げる構造が作られていった。日比谷が都立の頂点に立ち、西が続き、さらにやや低めの戸山が続く。大学進学を考えるなら都立も新宿、小山台、駒場が最低ラインになろうか。さてこういう都立をめざすとしてどういう子がその適格性があるのか。わたしの提唱する8割基準を満たす子がまず最低要件ではないか。8割基準とは通知表の「よくできる」が8割以上あることをいう。この中からさらにしぼられる。さまざまな要件がある。一番は、勉強に集中する能力があるか、である。

 世の中には、手抜き人間が蔓延している。だから勉強に手を抜かない、少数の人が、成功することができるのである。勉強というか、なんでも直面する壁から逃げる、回避する、そういう社会的弱者の増殖がB層という人たちを量産する構造というものがある。B層というのは、BAKAのBではない。縦軸にIQ、横軸に近代的価値をとり、第1象限から第4象限まで、4分類するとき、第4象限に割り振られる層をB層と呼ぶ。B層の特徴は、具体的なことはわからないが、キャラクターを支持する層、つまりは、IQは低いが、ポジティブな判断をする人たちである。これには、主婦層や若年層、そしてシルバー層が含まれる。IQが高くてポジティブな層がA層であるが、これは財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(TV)、都市部ホワイトカラーがその中心である。つまり、B層を操るには、単純に、ポジティブにさせるには、キャラクターとか、雰囲気とか、芸能人を利用するとか、そういうしかけで済む。

 わたしは国語重視を批判しているわけではない。ただ事実として国語を重視する学校に凋落の芽が出ている、それを指摘しているだけである。国語ができない、作文が書けない、という子は小学生の大多数ではないか。もちろん読書が好きかどうかということも大きい。漢検もやってる子のほうがずっといい。しかし、それよりもずっと本質的な問題があるのではないか。国語のできない子というのは精神的にあまりにも幼いのである。世間が見えていない。それから「字」の汚い子というのはたいてい国語ができない。字なんか練習すればいいのにまったくやらない。

 ※読むだけで「うまい」と言われる字が書ける本 1250円+税  字が汚い人にはお勧めの手本書です。

 国語ができないのは、究極的には、国語特有の思考法が「ない」からである。国語とは結局は哲学である。哲学とは、人間の根源的なものから発する問いについて考えることである。哲学書を読むといいのは、そういう根源的問いを知り、哲学者の思考を辿ることが、国語の思考の方法を学ぶことに通じるからである。池田晶子の「14歳から哲学」を薦める。ただし、14歳からである。小学生なら「ソフィーの世界」がある。これは2分冊のも出ている。最初は哲学の歴史みたいなことをだらだらと書いてあるから、適当に飛ばせばいい、通し読みをする必要はない。問いと思考法にしぼって読めばいい。物語を追う必要はない。

 頭のいいヤツは手抜きする。頭の悪いヤツも手抜きする。今日は前者の手抜きの構造の分析をしてみます。幼い時は神童と言われたこともある。いや中学でも神童と呼ばれていた。こういう子が、勉強の手を抜いて落ちこぼれていくのが、進学校なのである。この元神童たちは、抜群にできたときの記憶が強く鮮明に残っているため、「少し勉強しさえすればすぐにできるようになる」とか、「今の自分はまだ実力を出し切っていない」、「本気を出していない」、そう考えている。勉強しない、だから、できないのはあたりまえだと、自分の中で納得させている。こういう子の心理というのは、高いプライドと自信のなさが混在している、そういうことなのではないか。自分できちんと勉強してこなかった。このことがずっと尾を引いている。試験に向かって行くのが恐い。だからいつも逃げる。回避する。そしてそれを合理化する。正当化する。試験直前に敵前逃亡するのはこのタイプの子たちの特徴である。風邪で熱を出したから勉強できなかった。だから試験ができなかった。そういう合理化、正当化をやる。しかし、人生から落ちこぼれて、合理化して他人が「それならしかたない」と思ってくれても、現実は何も変わらない。

 一日7時間の勉強をする時間があるのに、3時間そこそこで終わらせる、余った時間に何をするでもなくだらだらしているだけ、手抜きとは、めんどうなことに関わらないで、息抜きをする、気を抜く、つまり楽をするということであるが、そのもたらす報いは人生の道の選択をだれもが進む道に堕してしまう、選択の幅が低いところで固定してしまうということで落着することになっている。

 ◎竹の会夏期B生外部募集の予定&入会試験

  □夏期日程はすでに原案を配布しましたが、「Bクラス」では、若干名の外部生を受け入れる予定です。おそらく4名ほどの受け入れとなるかと思います。

 □夏期要項の配布は5月下旬。申込は6月末日まです。

 □入会試験

 入会試験をご希望の方は、HPのお問い合わせフォームに所定の事項をご記入の上お申し込みください。

 入会試験受検には、いわゆる8割基準を満たしていることが望ましいと思います、8割基準を満たしていれば合格する蓋然性は高いからです。

 「渋谷A」クラス 入会試験A合格以上。A合格とは、6問中5問以上正解のことです。全問正解はS合格です。定番の「入会試験Ⅰ」は、小4対象です。小4のみ募集しています。

 「渋谷B」クラス 小4は通常合格で入会許可。小5はA合格必須。小6は高校受験志望者のみ受け入れ。

 

 

 

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