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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🔛都立中受検に失敗したら、終わり❓ な、わきゃない❗️

2024.02.15

🔛都立中受検に失敗したら、終わり❓ な、わきゃない❗️
 小石川落ちたから開成に受かったのだ❗️

 受かるべき人が落ちた。早稲田進学会模試5回すべて成績優秀者として名前を載せたが、内申がかなり悪かった。それでもカバーできると思っていた。
受験者の家族からは2週間音沙汰がなかった。それほどショックだったということか。
2週間して吹っ切れたのか、高校入試で竹の会に通いたい、とやってきた。
「わかりました」
何も語らなくても、わたしには、わかっていた。
開成とか、日比谷とか、そんな話しは一切なかった。
ただわたしの指示を黙々とこなす日常が永遠に続くように思えた。1年生の夏、冬、2年生の夏、冬、3年生の夏、冬、あっという間だった。1月渋谷幕張特別特待生合格、2月開成高校合格、城北合格、筑波大附属駒場合格、受ける予定の日比谷は棄権
 数々の記録を残した。
駿台日比谷志望者1500人中1位、早稲田高等学院全志望者中1位、慶應志木志望者中1位、Vもぎの偏差値すべて天井を貫き判定不能、駿台模試全国順位第1位 数々の記録を残した。

何の指導がよかったのか
後から考えると、いろいろ思いあたる。わたしの数学レジュメ、公開できない秘密の特訓、その特訓から「何が足りないか」を常に診断してその対策を打つ、この指導を始めのは、中2の9月のこと、中2の晩秋の時期には、都立の理科、社会の過去問はほとんど終わらせていた、点数は85点平均ほどではなかったかと思う。またこの時期には、日比谷を意識して、独自校レジュメ50問を終わらせ、日比谷の過去問をほとんど演習し終わっていた。
 

 理科、社会は開成、筑駒の理科社会に照準を合わせた。そのための参考書、問題集はほとんど買い集めた。といってもその問題集群の中から吟味して使えるものを選び抜いた。全国の有名予備校の教材も手に入れられるだけ手に入れたが、これというものはなかった。
 国語記述対策、英語英作文対策、古典対策、次から次に起きる問題に、わたしは、そのたびに手を尽くした。何日か考えて、頭に浮かんだアイデアを実行した。
彼はわたしの指示、命令を素直に実行してくれた。「〇〇、これ1週間で終わらせられるか」、「なんとかやってみます」、そんな会話がよくあった。中2の冬季から中3の5月までは、そういう指導が繰り返されていたのだと思う。
 6月、いよいよ駿台模試デビュー、いきなり全国一番❗️
 高校入試の方が、ずっと選択肢は、広がる。特に、男子はそうだ。都立中に行っても大半は大学は日東駒専以下で沈むことも知っておいた方がいい。
高校受験ほど選択の幅の広い世界はない。ただし、勉強だけにかけた人間だけが多くの選択肢を手にするのだ。
親、特に、母親が、能力ある子どもの将来の選択肢を摘む、一つに決めてしまうのは、越権行為と思う。
最後は大学でしょ。高校受験で決めればいい。そして、努力さえ怠らなければ、あなたたちには、広々とした選択の視界が広がることだろう。
子の進路を親が決めるな❗️
子が大人になったとき、親が決めた選択に粛々としたがってきたことに自我を取り戻し自分の選択ではなかった、と親を責める事態はあるのだろう。
 

 今から全力でやらないでどうする❗️ 今、全力を尽くす、それだけだ。
 都立中受検は、基礎素養をつけるための機会にすぎない。わたしは高校入試ばかりを専門に40年近くやってきた人間だ。

 そのわたしの指導が受けられる時期はもうそれほどない。

 今しかない!!

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