2024.12.25
🟨基本を飛ばすな❗️
小学の本質は、基本をしっかりと学ぶこと、その学びの過程を通して揺るぎのない勉強習慣をつけること、実質から言えば、タフな思考力を培っているということである。
竹の会に入会するときは、小2あたりがいい。小1までに、筆圧の効いた字を書けるようにしておくことである。入会にあたっては、簡単な知能審査テストを実施する。これでともかくも指導可能かどうかがわかる。ただし、それは知能に関する限りであり、勉強適性まではわからない。特に、低学年は、集中できない、じっとしておれないなどの勉強不適性児が一定数いるので、実は、実際に指導して、2か月しなけれびわからない。
勉強適性のある子は、指導してすぐわかる。
もし勉強適性ある子なら遅くとも6か月もあれば、整数の足し算、引き算から始めて、かけ算、割り算、小数の四則、分数の四則、四則混合演算、逆算まで、一気に終わらせるでしょう。後は、指導日には必ず演算4題、それから割合導入の指導を続けます。割合は、思考訓練でもあります。小3、小4の2年間を割合を軸とした思考訓練に充てることになります。小5になる頃には、思考上級者として、難関中学の算数の問題を使えるようになります。思考にさらに磨きをかけていきます。
竹の会のやり方は、徹底して一人の個人を観察すること、付き合うこと、です。ですから始めは箸にも棒にもかからない、そういう子が、一年も続けば、恐ろしいほど「変わる」ことです。できる人間になっている、だから長続きのしない子、飽きっぽい子はダメなんです。もっともそれは子どもが飽きっぽいというよりは、親に頑とした態度がないせいなんです。親がブレているからです。親が信念を持っていれば子はそんないい加減にはならないものです。
私が基本というのは、都合上のような課程を終えた場合です。
本来、受験は、基本と少しの応用で受かるものです。基本がしっかりしていれば、アウトプットが効果を発揮します。
ここで注意です。受験というのは、もともとカネのかかるものです。カネが理由で講習その他を節約するなら受験は最初からしないほうがいいのです。
よくカネのかかる講習は避けて自分で「やる」という人がいます。正直に言えば、それは、無駄な時間です。40年受験を見てきた、私だからこそわかる真実です。特に、竹の会では指導抜きにする勉強は無意味です。そういう人は一つの例外もなく落ちています。
それから竹の会では、季節講習は通常コースの前提となるもので、不参加者は退塾というのが慣例です。病気は仕方ない。それ以外は理由を問いません。季節講習を休んだら、通常コースの指導は無理で、さらに受験も無理だからです。
受験及び塾観に関して異論あるなら退塾すれば済むことで、そこからクレームをしてくるのは筋違いです。選ぶのは親であり、竹の会は、教育は投資であるとの考えであり、塾代を節約して受かろうとする方には向かないと思います。そういう方は須く落ちる、落ちてきたはずです。そこから逆恨みをするのは的外れ、筋違いです。 コロナ時期以前、特に、コロナ時期は竹の会の用意したコースは最低の時間量でした。およそ通常の時間だけで合格できたのは、公立中高一貫校スタート当初のことであり、とくに、今はそれで受かることはあり得ません。最低の時間だけで済ませて、あるいは小6の途中から来て落ちたとしても当たり前のことです。節約を重ねての最小の時間で受かるわけがないのです。
これは指導、指示なしの家庭学習というのが、意味がない、ということは当然の前提としています。
さらには、指導時間というのが、実は、もっとも力をつけるであろうことを当然の前提としております。竹の会の私の指導は、おそらく他に類例を見ない指導であること、これは実際に指導を受けた人しかわからないことですが、そういう最高に意味を持つ指導を節約という家計のためにスキップすることの損失は計り知れない、合格を捨てる、わたしにはそう見える。 よくコストパフォーマンスなどということを言う母親がいますが、コストパフォーマンスとは教育に節約の思想を持ち込むもので、教育は投資である、という考えとは真逆なものです。
それでも竹の会の指導を必要とするなら来てください、ということです。
現在、竹の会では、塾から受験コンサルへの移行を進めており、相容れなら教育観なら来ないことです。
できるだけ費用をかけないで合格しようと考えるのなら、竹の会は期待には応えられないと思います。
基本の大切さはいくら言ってもいい足りない。実はわたしは旧帝大を基本だけで合格しています。アウトプットとしてよくやる問題集、過去問集は一度もやったことがありません。正直時間がなかったために基本修得を優先しただけなのですが、かえってそれがよかったのだと思います。原則一科目一冊の参考書をやることとし、他は一切やりませんでした。参考書に集中するためです。その代わりそれなりのレベルの参考書を選びました。わたしが基本が大切だというのは我が身をもって基本だけで難関の旧帝大を突破したことからです。
だから竹の会では、受検ないし受験とやってきても、まず基本からやります。そして基本が完全になるまでは基本しかやりません。高校入試だと小学期に基本をスキップした子たちは受験は絶望として原則指導は断っています。
高校受験の成功は、何を置いても基本のできていることが大前提です。