2024.03.19
🌸都立青山高等学校 合格
阿部雄彦先生
謹啓
啓蟄のみぎり 貴会ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
阿部先生に今までのお礼のお手紙をしたためようといたしますと、未だに胸が熱くなります。
私たち家族にとって、本当に感慨深い高校入試でした。
娘が阿部先生のご指導を受けたいと申し、夫と私もお願いすることにしようと決めたのは、中学校入学の数か月前、2021年のお正月でした。
内部進学する中高一貫校では数学の進みが速いと聞いていた為、苦労しそうな数学を先取りして備えておきたい、思考力をつけて主体的に学ぶ意識づけ、真の実力をつけるご指導をお願いしたいと願う気持ちと、娘の『塾は竹の会に行きたい。』との強い思いで、入塾をお願いしました。
実は、竹の会への入塾を決意した時の半年前の小6の夏、娘と私は竹の会の入塾テストを受けに、一度だけ阿部先生にお会いしていました。
その際、竹の会入塾テストに合格をいただきましたが、阿部先生から『今の実力では都立中高一貫の合格には責任を持てません。都立上位高校入試に向けて頑張るのが目標なら、指導できます。』とはっきりとお伝えいただいたことを覚えています。
そのお言葉で、私たちは入塾を断念して竹の会を後にし、その数か月後の冬、中学へ内部進学をすることにした次第です。
小6の2月から、娘が竹の会へ週2回通う生活が始まりました。
一緒に学ぶことになった竹の会に通うお子様方は、阿部先生のご指導の下に、自学自習できるお子様方ばかりでした。
また、娘が懇意にしていただいた同級生の二人のお嬢様方は、理知的でしっかりした明るく優しいお嬢様と優しくて温かい心を持った少々恥ずかしがり屋のお嬢様でした。
このお二人のお嬢様との出会いも、娘の竹の会での馴染み易さ、励みの一助となりました。
彼女たちとの友情はこれからも続くことになると思います。
また阿部先生のニュースをわかりやすく解説してくださるような内容のお話は、国語が苦手な娘に天声人語や社説をかみ砕いてお話してくださるようなものでした。
そのお陰で、今までにあまり興味がなかった政治の話や社会問題にまで、家族での会話で、意見や思いを積極的に話すようになりました。
私は、竹の会のホームページやブログから拝読した阿部先生のお母様のお話、お父様や故郷のお話が印象に残り、胸を熱くすることも多くございました。
心の指導というものは、その方の生き様や信念からくるものを、関わることで教わっていくものなのだろうと実感しました。
娘は、阿部先生のご指導と竹の会での学びのお陰で、自分で頑張ること、きちんと理解して前に進む勉強法を習得出来るようになりました。
週2~3回の部活に参加し、クラス代表委員も三年間務めることもできました。
中一と中二では皆勤賞もいただけました。
元気に過ごせたのも竹の会を休みたくないという思いがいっぱいだったからです。
娘が自らの意思で友達と遊ぶ約束よりも必ず優先していたのが、竹の会、学校、部活動の3つでした。水曜と日曜、夏期講習、冬期講習、春期講習と休まずに竹の会に通いました。
土曜日も学校があった為、友達と遊べる日は基本的に日曜のみで、試験休みや春夏冬休みに竹の会が無い日であれば、遊びに行きました。
誘われても塾があるからごめんね!と断ることが殆どでしたが、それが本人の意志で、これは何があっても譲らない娘の意思であり三年間貫きました。
そのような生活が続く中で、ゆっくりと何かを積み重ねていくように、娘ののんびりした性格と同様に、成績も伸びていった気がします。
親としては高校受験が大変怖く、内部進学を辞退して選ぶ受験、学校の方針に背く受験は学校での居心地が良いものでなく、心のどこかで『ここまで娘の力をつけてくださった阿部先生への御恩はあれども、娘が受験を思いとどまってくれないだろうか』と秘かに思うこともありました。
しかし、娘は受験の意志が固く、受験を諦めませんでした。受験の半年前の夏『第一志望に合格して、阿部先生に恩返しをしたい。ここまで成績が上がって楽しく勉強できるようになったのは阿部先生のお陰だから!』と、申していた娘の笑顔がつい昨日のように感じられます。
都立高校の合格発表が私は本当に怖かったのです。
約半月前、残念な結果に終わった第一志望の私立高校に落ちたショックは非常に大きく、掲示板を背に無言で三人で帰路についた喪失感、帰宅してから励まそうとして発した私の一言で、今まで抑えられていた感情が堰を切ったように溢れだし、娘が大泣きした記憶が蘇りました。
そして、運命の都立高校の合格発表の日。
まずはネットで見て合格が確認出来たら、都立青山高校に行って一時間後の掲示板を見よう!と決めておりました。
しかし、娘はそれを聞き入れず『ママがその場で見るのが嫌なら一人で行って確認するから、私は先に出発する!落ちていたら仕方ないから。』と申しました。
不合格の日の翌日から一週間の娘の頑張りを見守っていました。
一日で立ち直って猛烈に頑張っていたのも知っています。
娘の大泣きした顔やその時の泣き声が忘れられず、現地で発表を見るなんて怖くて考えられませんでしたが、娘がもし再び不合格だった時、一緒にその辛さや悔しさを共有して悲しみを受け止めるのは私しかいないと思い直し、現地で一緒に合格発表を見る覚悟を決めて電車に乗りました。
9時半前になっても、都立青山高校の校門前には殆ど人は現れず、選べる制服のチラシを持った方々がまだ合格しているかもわからない私たちにチラシを配ってくださいました。
チラシを受け取り、苦笑いしながら娘と発表を待ちました。
9時半。
掲示板に合格者の番号が掲示されました。
私は必死で娘の番号を探し、すぐに見つけ再度確認しました。
隣にいる娘が番号を見つけて『あった!』と申すのを聞き、『〇〇ちゃん、あったあった!』と抱き合った瞬間、涙が溢れてきました。
二人で掲示板の前で声をあげて泣きました。
昨今は、ネット確認して受かった親子だけが掲示板を見に来るようです。
青山高校の先生は、私たちが合格の再確認と、受験番号が早い初回のグループの手続きに来ていると思ってらしたようで『手続きはこちらですよ』と、ひとしきり泣いた私たちを案内してくださいました。
私が『ありがとうございます。手続きは午後のグループの受験番号なんです。』と申すと『そうでしたか。それはおめでとうございます。』と大変驚かれた様子でした。
『頑張ったね!本当に良かったね!』と番号の前で何度も確認し、写真を撮って校門を後にすると、真っ先に『阿部先生に電話しなきゃ!』と先生のお顔が浮かびました。既に、娘は阿部先生にメール連絡しておりました。
その後、娘は登校し、授業終了後の15時半頃再度青山高校を訪れて、合格の書類を受け取りました。
その後、娘は『阿部先生に会ってくる!』と満面の笑みで竹の会に足早に向かいました。
その背中から喜びが溢れておりました。
改めまして、三年間の温かいご指導に心からお礼を申し上げます。
娘は、阿部先生から『根本をしっかりと理解して学ぶことの大切さと、自らの意志で目標に向かってチャレンジすることの楽しさ』を教わり、『将来の夢に向かっていく学力』を与えていただきました。
そして今、新しい高校生活を歩み出す素敵なスタートに就いております。
本当にありがとうございました。
阿部先生と竹の会での娘の思い出は、話が尽きません。
今後、もう娘から竹の会でのお話を聞けなくなるのは寂しいですが、きっと、娘は時折阿部先生に会いに行くことでしょう。
阿部先生がお体を酷使されてまでご指導くださっていること、いつも竹の会に通う一人一人の子供のこと考えてご指導くださり、愛情をいっぱい注いでくださっていること、私は忘れません。
娘の心にもその思いが染みついております。
どうか、ご自身のお体を第一にご無理なさらず、今後ともご活躍されますことを心よりお祈り申し上げます。
時節柄ご自愛くださいませ。
かしこ
2024年3月18日
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