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平成23年 都立小石川中等教育学校・合格(男子)

2015.10.28

【合格体験記】

 

私は、今年の都立小石川の合格者です。

小石川を目指して受検勉強に励んだ二年間、大変に慌ただしい時期もありましたが、今となってはあっという間のように感じられます。

 

竹の会に入塾したのは、私がまだ小学4年生の夏休みの時の事でした。

それ以前は他の大手の塾に通っていたのですが、当時は小石川を知らず全く目指していなかった上、実力もほとんどなく、下級クラスにいました。そこでは、上へあがろうと必死にもがいていたことがかすかに記憶に残っています。

 

その後、母が私に小石川を勧めてくれました。

下級クラスにいたものの、算数と理科だけは私の大好きな教科で、他の科目よりわずかにテストの点数が高かった覚えがあります。そのため、数学や理科に力を注いでいる小石川は私のあこがれの学校へと変わりました。

 

しかし、小石川を目指すに当たって一つ問題がありました。

小石川では「高い志を持ち自らの能力と個性を自ら開拓する生徒」が求められているのですが、大手の塾では授業のペースでしか自分の実力をあげられないため、高い志を抱けないのです。そこで、今度は母が竹の会をインターネットで見つけ、私に勧めてくれました。初め、“遠すぎる、夜遅いのが心配”という理由で、父が反対していましたが、話し合いの結果、とりあえず試しにということで、入塾を許可してくれました。

 

2008年の夏、初めて竹の会に足をふみ入れました。

思ったよりせまかったものの、にぎやかな環境の方が好きな私にとっては、全く気になりませんでした。

 

竹の会と大手の異なる点はおおまかに言うと、

①授業ではなく、主に個人指導

②教室内は学年関係なく混合している

③一人一人勉強法が異なる

④自分のペースでできる

と言った感じだと思います。

 

やはり、私にとっての竹の会の魅力は“自分のペースでできる”ということだと思います。おかげでより高度な学力を目指すことができました。また、学年が混合しているという点も、後になって大変に重要なキーワードとなります。

 

そうして、私は竹の会に慣れていき、5年生となっていきました。その時には、私が「竹の会はとっても良い」と言ったせいか、父も反対することがなくなりました。

 

5年生、入塾から半年ほど経過した頃、私はいつのまにか「昨日までの自分の実力を上回ろう」と必死に勉強していることに気づきました。

大手の塾の時はテストの順位をあげようと友達を抜かすことばかりを考えていた自分が、竹の会に入って以来、精神や勉強方法がおおいに改善されました。先生の指導に支えられ、私の算数の実力は大きく伸びたと思います。この頃からでしょうか、私は6年生と同じようにレジュメをこなし始めました。もちろん、正解率は先輩の方がずっと上でしたが、私は何としても追いつきたいと無茶苦茶な志を抱き本気で勉強し始めました。

 

その成果が出たのか、少しずつ自分の正解率が上がり、6年生と同じように軌道に乗ることができました。学年が混合しているからこそできることです。2人の先輩(去年の両国、桜修館の合格者)に引っ張られながら、合格への道を歩き始めました。

 

最初のかべは、竹の会独自の合格法“過去問の制覇”です。先生に言われるがまま都立の過去問四年分を進めていくものの正解率は低く、返される度にため息が出ました。

しかし、重要なのはこれからです。

過去問で力試ししたら終わりというわけではなく、これを電話張にして、間違えた問題に印をつけ、解けるまでひたすらやり直すのです。先生は7回やり直す事を目標としていましたが、隣の6年生(去年の桜修館の合格者)が14回もやっているのを見て、私も負けずにと10回やりました。そのやり直しを基に解答集を作り、やっと一息つけたと思ったら、次は別のかべにぶつかりました。

 

全国版の過去問の制覇です。

50近くの学校を制覇するのは大変でしたが、となりの6年生が3か月程で終わらせたのを見て、一日に3つの学校の過去問を持ち帰ることもありました。先輩を目標にして過去問に集中していたあの日々はいまでも忘れられません。

 

2月、あの6年生達を受検会場へと送った後の竹の会は何となくさびしくなりました。

それと同時に、今度は自分が見本になるプレッシャーを感じていました。さっそく新しい年の過去問を2年分行ったのですが、去年よりも本の厚さが増していたことには驚きました。しかし、去年もやっていて慣れていたためか、2年分とも4、5か月程度で終えることができました。先生に算数でさんざん鍛えられた思考力は確かに実力を発揮し、正解率はかなり上がりました。そして去年の6年生が受けた年の都立も完全制覇することができました。

 

しかし、私にはまだ欠点がありました。

作文です。過去問の結果で一目瞭然、作文は未だにD判定(注釈:竹の会判定)が多くなっていました。小石川の適性検査Ⅰは、問一で2つの文章の共通した主張を読み取り、問二で問一の内容をふまえた作文を書くのですが、問一を外してしまったら一巻の終わりです。

 

そこで算数の黒帯や皆伝(注釈:竹の会設定レベル)を合格した後、私立の国語の過去問をスタートしました。国語が苦手だった自分にとって一番苦しかった時期でもあります。結局最後まで100%完璧にすることはできませんでしたが、なんとか読解力をつけることができました。

 

そしていよいよ、本番の2月3日がやってきました。

小石川に近づくにつれて緊張が高まります。土日は一日十時間の勉強をした自分を信じて、先生や先輩、そして親のアドバイスや応援を心に留め、ついに受検が間近にせまりました。“大じょう夫”と心の中でつぶやいて、緊張をまぎらわしながら、いつも通り問題を解きました。

 

先生「きん張したら負けだぞ。わかっているな。」

私「そりゃ~普段の力が出せなくなりますからね。」

 

やけに他人事みたいに言っている自分に苦笑しましたが、先生との会話が徐々によみ返ります。検査中は一秒でも惜しいのに、30分という長い休憩時間はついぼーっとしてしまいます。そうしているうちに適性検査Ⅲも終わり、「心配だなぁ」とつぶやきながら帰宅しました。

 

それから一週間後、再び小石川に出向きました。

そう今日は合格発表の日です。

午後に行ったのでだれもいませんでしたが、一歩一歩近づき、一番最初の番号から順に探しました。番号が一気に飛びこえている箇所が多く、自分も飛びこえられているのではないかという不安が脳裏をかすめました。

 

すると提示坂の中央辺りに自分の番号が書かれているのを見つけました。

いざ見つけたとなるとどう喜べばいいかわからず混乱してしまいました。心配でもう一度確かめました。

 

「あった・・・」

 

自分に言い聞かせるようにつぶやきました。

「近くにいた部活中の生徒の方に「おめでとう。」と言われていたよ」と母が言っていましたが、全く気付きませんでした。それだけぼう然としていたのです。合格できたのは先生のおかげです。

 

塾というのは合格へと線路を組み立てる所だと思います。

その線路の上を走ればきっと夢はかないます。一度なまけてしまえば脱線して復旧が難しくなります。大手はクラスに一本ずつ線路を組み立てるので、早い者順となります。線路に乗れず落ちこぼれの人も多くなります。

 

しかし、竹の会ではみんなに一人ずつ線路を組み立てるので、全員が実力を発揮できます。また、自分のペースでいくらでも線路を延長させることができます。これが竹の会の利点だと思います(わかりにくい表現ですみません)。

 

今となっては入塾が困難となった竹の会に入れたというのは、大変幸福なことであると思います。今まで本当にありがとうございました。

中学でもがんばりますので、引き続きよろしくおねがいいたします。

 

 

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