2025.12.06
🟦合格請負人仕事録(9)
令和7年 都立青山高等学校合格
彼は、小3の入会だった、と思う。正直に言えば、計算から割合と、初動の導入で、散々苦労した。中々理解出来ず、同じレジュメを何度繰り返したことか。幼少期はアメリカで過ごした、と聞いている。そのせいか、字が汚く、読むのに苦労した。いつも「字をなんとかしろ」と言ったものだ。
計算も割合も同じことを何度も繰り返しやらされていたのに、勉強は嫌にならないというか、塾が嫌にならない、のは不思議だった。おそらく当時の竹の会の環境にあったのかもしれない。当時、竹の会には、個性溢れるキャラが何人かいて、とにかく賑やかだった。いつも笑いが絶えず、子どもたちは、楽しくて仕方ないという様子だったように思う。わたしに怒鳴られ、退塾騒ぎになることもあったけど、結局、みんな仲良く、勉強していたのかな、と思う。
彼は、算数レジュメが、どの段階まで行ったのか、よく覚えていないが、「入試速解」までは行ったのかな、と思う。と言っても、とにかくやたら「先生、ヒント下さい」と来たものだ。適性レジュメもそれなりに進めたのではないか。都立富士を受けたが、補欠だったかな。
公立中学に進み、竹の会で高校受験をやることになった。
ここからが、彼の本当のスタートだったのかもしれない。
竹の会のレジュメにとにかく忍耐強く取り組んでいた。決して諦めることなく、黙々と塾にだけは通ってきたし、決して休むこともなかった。またワイワイ騒ぐ下級生に適当に取り合いながら、自分のやることはきちんとやっていた。とにかく精神的なタフさを身につけたというか、竹の会の入試ノルマを着々とこなしていった。入会時のできない子というイメージは払拭され、難解な数学の正解率も良くなってきた。わたしが、命じた解き直しも素直に従ってくれた。そのせいでさらに実力をつけ、早稲田実業を受けられるだけの力もついた。都立青山では、得点開示で、なんと高得点合格をしていることがわかり、驚いた。あの小3のできなかった子がここまで伸びるとは、とにかくタフで、わたしの厳しい指導にもめげることなくとにかくよく耐えた。この前会ったときは、一橋大を目指していると自信に満ちた表情で言っていた。言い忘れたが、内申も悪くて4、ほとんど5だったことを付け加えておきたい。
小3からなんとも長い付き合いだった。気長に、成績がなかなか上がらなかった時期から、竹の会に根気よく通わせた親御さんの広い心には頭が下がる思いです。わたしの指導を最後まで信頼してくださったことに心より感謝の意を表します。






