2025.12.18
🟦合格請負人仕事録(11)
竹の会と青山学院高等部の縁
昭和62年 青山学院高等部合格 男子
平成3年 青山学院高等部合格 女子
平成11年 青山学院高等部合格 女子
昭和62年は、竹の会の初めての高校入試だった。竹の会は、昭和60年10月に開設した。元代々木の小さなマンションの一室を塾とした。後に、マンションの全フロアーを教室とした。元代々木教室は、2012年10月までに閉鎖し、2012年5月6日竹の会渋谷教室に移転した。
昭和62年青山学院高等部合格者は、初の竹の会の合格者であった。この縁で、わたしは、青山学院初等部、中等部、高等部の生徒を教える機会に邂逅した。この年に、いわゆる竹の会一期生が、都立駒場、都立大附属、都立目黒、国学院久我山、日大櫻丘に合格を果たしたことは記憶に新しい。いやたくさんの卒業生がいたのだが、申し訳ないが、思い出せない。それから、竹の会の「英語指導案」制作の際に、青山学院中等部で、使われていた、英語プリントは、とても参考になった。「英語指導案」は、「プログレス 英語」も参考にした。そのほか市販の英語問題集数冊、塾専用教材の英語など、夥し数を読ませていただいた。
青山学院高等部のほか、市川高校にも受かるというおまけつきであった。
平成3年の合格者は、渋谷にあった、昴研究所という有名塾の女子であった。学年1番の秀才であった。竹の会の数学の評判を聞いて門を叩いた。昴では、2番で1番の子は筑駒の男子、どうしても1番を取りたい、と竹の会での数学の指導を懇願された。第一志望は、慶應女子だった。竹の会は、昴の補強ということで、英語も国語も指導していない。数学に特化した指導であった。
まだ竹の会には、レジュメというものがなく、わたしが、難関校の数学を編集した、問題集を使った。しかし、週1回の指導では、なにせ時間が絶対的に不足した。結局青山学院合格。都立戸山は滑り止め合格。
この頃の竹の会には、小塾のため、大手塾の補強でやってくる子ばかりであった。
平成11年の合格者は、やはりサピックスの補習で、中1から通っていた。週2回ペース。中1のときは、サピックスの模試で、首都圏3位だった。しかし、中3の11月第1志望の慶應女子はとても無理ということで、相談にきた。その結果、サピックスを退塾、竹の会1本で、青山学院高等部をめざすことになった。その時、使ったのは、「新英語指導案」「英語ポイント集」、数学は、「入試数学ベーシック」だった。
彼女は、青学合格後も、竹の会に通い、大学受験を竹の会でやり、現役で慶応大、上智大に合格した。
彼女も慶應女子の志望者であった。残念なのは、竹の会で、難関校めざして中1から通ってくるという子が、皆無だったことだ。平成10年の早稲田実業合格者は、初めて、難関校受験者では、中1から竹の会で指導できた子であった。わたしには、中1からわたしに指導させてもらえば、という思いが常にあった。竹の会のような、無名の、小塾に、難関校受験で来る子は皆無であった。だから、平成10年の合格は、初めてわたしが手ずから手がけた、難関合格であったのだ。昭和62年の青山学院合格者にしても、竹の会に来たのは、中2の12月であり、それまで様々なな有名進学塾を渡り歩き、最後は、河合塾に通っていた。しかも東大生二人を家庭教師として雇っていたのだ。
竹の会に、難関受験の依頼が来るのは、ほとんどない。余程大手嫌いだとか、大手で失敗したとか、子どもの性格から大手は無理とか、レアケースだけだ。
わたしは、難関受験者を常に想定して、数学、英語を研究してきた。もちろん国語の研究にも、理科、社会についても、様々な文献を読み、研究を深めてきた。英語、数学は、大学受験指導で、参考書をかなり読み込んできた。高校入試の数学は、大学入試とは、別分野であるが、英語は、大学受験の英語が、そのまま高校受験英語に連続していたので高校受験でも大学入試を意識した指導ができた。令和4年の開成合格者が、開成高校に入学後も、竹の会でやった英語が、上位をキープするのに役に立ったことを述懐していたのは、心に響いた。竹の会の合格者の多くが、それぞれの進学先で、トップクラスにあるのは、決して不思議なことではない。






